こんにちは。皆さん、お久しぶりです。
11月にツイキャスの方で第2回GS考察発表会がありました。テーマが『学園演劇』ということで、私は日比谷君の演目『義経』について語ってきました。
というわけで、今回は考察発表会で話した内容を記事にしていきます。
今回の考察のために、司馬遼太郎さんの『義経』(上下巻)を読みました!(計約1000ページの大ボリューム👼)
私自身、歴史にはあまり興味のない人間で、日本史は小中学校レベルの知識しかなく、また歴史小説というのも読んだことがないので、理解するのに結構苦労しました笑
ちゃんと理解できてるかどうかはともかく、小説を読みながら考察に使えそうな部分にどんどん付箋を貼りながら読み進め、そのなかでなぜ日比谷君の学園演劇に『義経』という作品が選ばれたのか、という部分がなんとなく分かってきました。
『義経』という題材がなぜ選ばれたのか、そして何を表現したかったのか…それを司馬遼太郎の『義経』から文章を引用しながら紹介させていただきます。
目次
1.日比谷渉と義経の類似点
今回、小説を読んで一番に思ったのは、義経という人物が日比谷渉のキャラクター像と類似する点がたくさんあったという事です。
考察発表会で他の参加者の発表聞くと、あえて対照的なキャラクターを当てていることが多いように感じましたが、日比谷君の場合は重なる部分が多かったです。キャラクターによってどう魅せるかを変えてくるあたり、GS制作陣はすごいなと思いました。
閑話休題。
では、類似点を一つずつ見ていきましょう。
➀努力家
四条の聖鎌田正近の出現から十六の年までこの若者は毎夜、僧正ヶ谷で木刀をふるって剣と体技を自修した。
九郎は人変りがした、といっていい。唐綾にいわれた忠告をまもり、いっさい婦人を近づけず、馬術に専念した。
常に剣や馬術の鍛錬に励んでいた義経(九郎)。これと決めたらその目標に向かって毎日継続する力がある人物だったようです。
この箇所を読んだ時、クラブ終了後もグラウンドに残って巨大なローラーを引いて、グラウンドの整備をしつつ体を鍛える日比谷君の姿を思い浮かべました。
このイベントでは、
「ドラフト逆指名されて、女子アナと結婚するッス」
などという少々不純な動機を語ることによって、人によっては彼の評判を落とすことにもなるのですが……笑
動機が何であれ、人一倍努力しているのは紛れもない事実で、しかも一切さぼることなくやり抜くのが彼のすごいところなんですよね。それだけ彼の目標は明確で「プロ野球選手」や「カッコイイ男になる」いう夢に対するモチベーションが非常に高いんですよ。三日坊主という言葉があるように、その日の気分で頑張ったり、頑張らなかったり……という人は多いと思うので、量も人一倍にこなしながら毎日継続するというその”意志の強さ”に感動するわけです。
「女子アナと結婚」発言は確かに衝撃的かもしれませんが、そこだけでなく、彼の努力が偽物ではないというところ、そのまっすぐな姿勢をもっと評価してほしいなと、私は思っています。
②小柄
しかし九郎はその習熟した刀術ほどには弓に素質がなさそうであった。第一、小柄なために大弓がひけず、膂力が人並以下なために何十間も射とおすような強弓がひけなかった。
若者は、石段をおりてくる。その小柄で清げな姿が、いっそうかれの姿を劇的にし、ひとびとを感動させた。
義経は数々の戦果を挙げてきた人物として有名ですが、結構小柄なんですよね。
一度弓を習ったものの、体格に恵まれず、結局剣と馬術を極めることで何とかした感じです。
対して日比谷くんも小柄なんですよね。プロ野球選手を目指しているとは思えないくらいの……。高2の時点で165cm。水着の立ち絵を見る限り、筋肉はしっかりついていそうなのですが、体格には恵まれず。とはいえまだ高校生なのでもう少し身長が伸びる可能性もあります。彼はピッチャーをしているので、やはりもう少し大きい方が有利なのかなとは思いますが、それでも高2の時に甲士園のマウンドを任されるくらいの選手ではあるので、そこがすごいなと思います。それも、彼の人一倍の努力がもたらした結果なんでしょう。
小柄だからと言って諦めるわけでもネガティブになるわけでもなく、前向きに自分のできることをやっていくその姿勢が本当に素敵ですよね。
あと、義経は「清げ」と表現されています。
「清げ」は「すっきりとしていて美しい」という意味です。これも日比谷くんっぽいですよね。日比谷君はすっきりとしていて美しい、清げな男の子です(異論は認めません笑)。
③心の機微を察するのが苦手…だけど優しい。
(負けよ)
とは義経はねがっていない。これほどにその名誉心を傷つけられていながら、面当てとか競者の不幸をのぞむといったふうの、常人にとって当然な心情が義経にはふしぎなほど欠けていた。この欠落が他のものにはない格調をあたえているのであろう。同時にこの心情の欠落が、人の心の機微を察せられぬという、この若者の致命的な欠陥にも通じていた。
義経は、おそらく成育歴が関係していると思うのですが、人の心の機微を察することが苦手な人物で、それゆえに一部からは”常識のない人間だと思われ、嫌われていました。しかしながら、根は優しく情の深い人間で、表現もストレートなため、色んな人に愛される存在でもありました。
この部分が見事に日比谷君のキャラクターと重なるな、と感心しながら読んでいました。日比谷くんもまっすぐすぎるがゆえに時々失礼で空気の読めない発言をしてしまうのですが、本人には全く悪気はないし、相手を純粋に尊敬する気持ちや、大切にしたいという気持ちはちゃんと持っています。彼は空気を読んで器用に立ち回ることができないのですが、その不器用さとまっすぐさがとても愛らしく映りますし、嘘がつけないからこその信頼感もあるのかなと個人的には思っています。
ちょっと空気の読めない発言をしてしまうこともありますが、そこは優しく指摘してあげれば改善してくれます。これからどんどん成長していく伸びしろのある人物です!彼のまっすぐで優しいところ、そしてこれからの伸びしろに期待してほしいなと、日比谷君推しとしては思います!
④絶対的な尊敬の念とブレない想い
義経はこの不遇のなかでもなお兄頼朝の自分への愛情を信じぬいており、この誤解は下僚どもの讒言によるものであろうと思い、いつか頼朝がわかってくれるとおもっていた。広元のみたとおり、この若者はすべての人間感覚を情緒的にしかとらえられない。
義経は誰よりも「血縁」を大切にしていたというか、若くして母親や兄弟と離れて暮らすという人生を送ってきたので、血の繋がりにどこか縋りついているような、そんな印象を受けました。兄頼朝のことも、本当に尊敬していました。義経の「心の機微が分からない」「常識に乏しく無礼な態度をとってしまうことがある」というところや、あまりに戦果を挙げすぎたことによって、頼朝からは嫌われていたのが悲しいところですが……。
日比谷くんにも、”義経にとっての頼朝”にあたる人物がいます。
それが、葉月珪くんです。彼は、日比谷君にとっての「カッコイイ男」の象徴のような存在で、(ストーカーしてしまうほどに)本当に尊敬していました。
葉月君にとっては少々迷惑な存在だったかもしれませんが、こんな風に誰かのことを心から尊敬し、その人みたいになれるように努力し続けられるというのは、なかなか素敵な事なのではないかなと思います。
「想いにブレがない」というところが、彼の一途さを表現していていいですよね。
⑤無邪気で甘え上手
この若者の性格を泰経はよく知っているが、どういうものか大人と思えぬほどに甘ったれなのである。法皇に対してもそうであった。法皇が愛撫してやると仔犬のようによろこび、じゃれつきたいような様子をみせる。
義経は素直でまっすぐな性格であり、少々愛情に飢えていた人物でもあります。そのせいか、成人になっても仔犬のような甘え方をしていたようです。
日比谷くんがGSシリーズの年下キャラの中でも、一番”年下感”を出しているキャラかなぁ、と思っていて、仔犬のような愛らしさがあるんですよね。このカラオケでのスチルでも、口の端についたソースを主人公に拭ってもらうという……そんな子どもっぽくてかわいい姿を見せてくれます。
彼自身は「頼られたい」タイプの人間なので、こんなふうに甘やかされるのは本意ではないかもしれませんが、そこのギャップがこちらとしては萌えるんですよね☺
彼は年上女性を虜にする魅力を持っていると思います。
⑥練習に裏付けられた自信
「合戦というものは」
と、義経はかれの戦術思想をいった。戦いとはただひた押しに押し、ひた攻めに攻め、進みに進んでついに勝利を得るものである。退却などいささかも考えるべきではない、というと、梶原は「ちがう」と叫んだ。
義経は非常に奇抜というか、見方によっては逆にシンプルすぎるくらいの戦術で輝かしい戦果を挙げてきました。義経よりも上の立場の人間から戦いの指示を受けても、自分の戦術を疑うことなく、自信を持ってそれらをはねのけ、そして結果を残してきました。このような自信あふれる発言と行動は、これまでの戦いの経験もそうですし、自身の鍛錬や仲間への絶大な信頼によってもたらされたものだと思います。
DS版で追加された、この甲士園のイベントでも、9回裏満塁という逆転のピンチでマウンドに上がったものの、「練習はジブンを裏切らない」と自分のこれまでの練習や仲間への信頼、そして主人公という大切な人に見守られていることを力に、渾身のストレートを放って抑えました。
がむしゃらで無謀な練習をしているようにも見えますが、こういう時に人一倍頑張ったことって自信になって表れてくるんですよね。このイベントでは彼の全ての努力が報われ、そして人の好さも見えてくるので本当に泣けてきます。
日比谷くんのカッコイイところがみたい人は、ぜひDS版でこのイベントを見てほしいです!!!
⑦大切な人に対する情愛の深さ
(このひとの情愛のふかさよ)
と、諸士はただひとりの死のために戦いをやめ、戦場を離脱し、泣きに泣いて供養しているこの義経の異常さにうたれた。
これまでの引用を読んでいただいたらなんとなくわかると思うのですが、義経は本当に根が優しく、情愛深い人で……仲間が戦場で亡くなったら、戦いの最中であっても一旦戦場から離れて泣きながら供養するような人物です。大人だから、とか、戦いの最中だから、とかそういう理由で現実逃避したり涙を我慢するような人ではないのです。武士としては精神的に未熟なのかもしれませんが、とても人間的で素敵だなと思います。
この義経の涙から、日比谷君の海のスチルが思い浮かびました。彼も、海でおぼれてしまった主人公を本気で心配し、主人公が目を覚ました時には泣いて喜びました。(人工呼吸の時に若干邪なことを考えてはいたものの)彼の涙には、優しさを感じましたね。こうやってちゃんと感情を表に出してくれる人っていいなと思います。
⑧誰に対しても真摯に向き合い、相手を思いやれる。人を信じすぎてしまう。
荘園のあらそいのことや、鎌倉どのへの取りなしのことなど、持ちこんでくる依頼は雑多であったが、義経はいちいちたんねんにきいてやり、しかもその世間にうとい若者は頼みこんでくる者にいちいち好意をもち、依頼者に有利なはからいをし、たれもかれもよろこばせた。
義経は心の機微を察することができないことで人に嫌われることもありましたが、やはり根はとてもいい人なので、依頼には真摯に対応し、いちいち人を好きになって相手が喜ぶことをしていました。義経が絶大な人気を誇っていたのは、こういう人間性であったからこそなのではと思いました。
日比谷くんもとても誠実に色んなことに向き合っています。野球にしても、カッコイイ男像にしても、恋愛にしても……。それが如実に表れているのが、このラブレタースチルなのかなと思っています。
後輩から貰ったラブレターにどう返事をすればいいか、主人公(好きな人)に相談するという……このシチュエーションだけで考えるとかなりやばいような気もするのですが、彼なりに真剣に向き合いたいからこそだと思います。主人公に相談したのは、主人公のことを本当に信頼しているからなのではないでしょうか。信頼している人からアドバイスを乞いたいと思うのは普通の感情だと思います。
このイベントは日比谷君の誠実さがしっかり出ていますし、主人公が日比谷君にかける言葉も本当に素晴らしい(いい聞き役という意味で)のでぜひ見てほしいですね。
類似点としてはこれくらいにしておきます。
考察発表会の時には
⑨好色家(日比谷君はそんな軽い人間ではないけどなんやかんやモテてるという意味で)
⑩少々学が足りない(義経は軍事能力には長けていたが政治に関しては全くだったという点で。日比谷くんも下校会話を聞く限り頭はそこまでよくなさそう)
の2点もあげていますが、大した内容ではないので省かせてもらいます笑
2.義経から見た「静」と主人公を重ね合わせてみる
義経と日比谷くんには様々な共通点があると言ってきましたが、実は今回の学園演劇でも登場する「静」というキャラクターも主人公と重なる部分があるのではないかと、小説を読んで思いました。
静御前は義経の正妻ではありませんが、おそらく義経が生涯の中で一番愛した人物だと考えられています。
『義経』の中で、静御前がGSの主人公像と重なるような箇所が2つあったので、それらを紹介します。
―こういう女ははじめてだ。
と義経がおもうのはその舞によってではない。舞のあとである。舞が終われば静はいそぎ装束を更え、ふつうの衣装にかえてしまう。
「せめて一度でも、その舞装束のまま侍れ」
と義経はしばしば要求するのだが、静はつねに冴えざえとした歯切れで、いいえ左様なことはできませぬ、とことわった。白拍子とはいえ、その舞は神にささげるものとして舞っている。母の禅師がわたくしにそのように教えた。さればあの舞衣装のままでは、お膝のそばに侍れませぬ、というのである。
さすがに一芸に誇りをもって世に立っているだけに、他のいかなる貴族の女性にもない凛としたところがあり、それに応答がきびきびして漂いも淀みも濁りもなく、打てばかならずさやかな音色で戻ってくる。(中略)
静は、ちがっている。
それに静は、どの公卿の姫たちよりも物学びにすぐれ、磯ノ禅師の薫陶によるらしく漢字も読め、唐詩や和漢朗詠集などは数知れず暗誦しており、詩の平仄すら心得ていて、まねごとの作詩ぐらいはできるのである。
いかがでしょう。この文章を読んで、なんとなく主人公っぽい!と思ってくださった方もいるのではないかと思います。
静御前は「白拍子」として、貴族のいる場で舞をしていました。
白拍子の中でも特に漢字が読めたり、詩にも精通していたりと学もあり、一目置かれる存在だったようです。
特に主人公っぽいなと思ったのが
・力を持っている男性に要求されても、信念を持ち凛とした態度で断るところ。
ですね。
GS主人公はすごく人当たりがいいのにも関わらず、ちゃんと芯があって断るときにはきっぱりと断ることができる、そんな凛としたところがありますよね。
義経も男性に簡単に流されることなく、芯をちゃんと持っているところに惹かれたのだと思います。
日比谷くん攻略には全パラ要求されますが、それは様々なことをこなせる静と近しいものを感じますよね。その点でも対日比谷君の主人公として、静御前という役は主人公にぴったりだったように思います。
3.学年演劇『義経』で表現したかった事
学園演劇では、何かしらその男の子自身の「課題」が突き付けられているんじゃないかなと思っています。
日比谷君の場合は「年の差」なのかなと思いました。
GSシリーズの最初の作品の年下キャラという事もあって、「年の差」だからこその苦悩というのをしっかり出していきたいのかなと思っています。
3年目の文化祭が終われば、あとは卒業まで秒読みになります。
一つ年下なので、どうしても「別れ」が訪れてしまいます。
でも、主人公のことが好きだから離れ離れになりたくない。
その気持ちが義経と静の関係で表現したのではないかと私は考えています。
このイベントのセリフは、義経と静御前が離れ離れになるシーンとなっています。
主人公の卒業が現実味を帯びてきた11月。
まだ主人公と一緒に居たいという気持ちはあるものの、どうしてもかなえることができない。努力ではどうしようもないこの現実の辛さに日比谷君は、涙したのでしょう。
でも、必ずまた再会できることを約束します。そこには、日比谷君の”決意”が含まれているのではないかと考えています。
演劇での涙から、主人公のことが好きな気持ちと、他者(義経と静)の気持ちに心から寄り添う日比谷くんの優しい気持ちが現れているなぁ、とうるうるしてしまいました。日比谷君は本当にまっすぐで人の気持ちを思いやれる素敵な子なんです。
4.まとめ:学園演劇が『義経』である理由
ではでは、長くなりましたが、まとめに入ります。
日比谷君の学園演劇が『義経』である理由、分かりましたよね??
大きく分けて2つになるかなと思います。
➀義経の人物像が日比谷君のキャラクターと概ね合致していること。
②「年齢差→別れ」の演出をするため。
原作を読んで、ここまで納得できる理由が見つかると思いませんでした。
この題材は「日比谷君に武士の格好をしてもらいたいから」とかいう適当な理由で選ばれたわけではないんですね。
本当にここまで考えてちゃんとキャラクターに合った題材を選んでいるGS制作陣は本当にすごいなと感動しました!!頭が上がりません。
今回学園演劇の考察をやってみて、キャラクターやストーリーを深めるのにとてもいいなと思いました。皆さんも、ぜひ実際に原作にあたってみて、なぜこの作品が選ばれたのかを考えてみてほしいです。そして、その考察を聞かせてもらえたら最高に嬉しいです!!
ではこの辺で!
皆さんよいお年を!!
来年も考察記事を頑張って書こうと思っていますので楽しみにしていてください!!