はばたき情報局

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【佐伯瑛】「頼むよ、耐えられないんだ」を考察する【GS2】

ときメモGS2の王子キャラ、佐伯瑛くん。自分の大好きなキャラです。彼のことをとてつもなく尊敬していますし、彼の生き方にはかなり影響を受けました。

2020年7月19日に30歳の誕生日を迎えました。おめでとうございます!!

本当はこの記念すべき日に考察記事を上げたかったのですが、間に合いませんでした…。

 

佐伯くんの中で最も印象的なセリフと言えば…タイトルにもある通り「頼むよ、耐えられないんだ」を上げる方が多いと思います。自分も初見プレイの時、彼のこのセリフに動揺したことを覚えています。

今回の記事では、この「頼むよ、耐えられないんだ」というセリフから、佐伯瑛というキャラクターを深めていこうと思います。私自身大好きなキャラですし、GS屈指の人気キャラなので、非常に緊張していますが、自分なりに考えたことを頑張って書いていこうと思います。

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1.親との確執と学校

佐伯君は羽ヶ崎学園に入学するにあたり、親元を離れ、はばたき市で「珊瑚礁」という喫茶店を営む祖父(佐伯総一郎)のもとでお店の手伝いをしながら暮らすようになりました。これは佐伯君が自ら選択したことです。大好きな祖父、コーヒー、海…ここには佐伯君にとって大切なものがたくさんありましたし、夢も詰まっていました(彼にはバリスタになって珊瑚礁を続けたいという夢があります)。

しかしながら、親元を離れ祖父の店でアルバイトをしながら学校に通うという選択をした佐伯君に、両親は条件を出します。それは下校会話で聞くことができます。

・ゼッタイ成績に影響が出ないこと

・学校では問題を起こさないこと

佐伯君は、珊瑚礁の手伝いを続けるためにこの条件を飲みました。

佐伯君の両親についてゲーム本編であまり詳しいことは語られないのですが、この条件を出すあたり、学歴主義で世間体を気にする(権威のある仕事と世間から思われている仕事に就いている)タイプなのかもしれません。そして、それを子どもにも強いている。よく言えば教育熱心な親。俗にいう「いい大学に進めれば、いい人生を歩める」みたいな考え方を支持していそうな気がします。憶測でしかありませんが。

佐伯君はお店を続けるために両親との約束を守って頑張りました。学校では「優等生」を演じ、成績上位を維持できるくらい勉強も頑張りました。佐伯君自身も両親の影響を受けているのか、”周りの目”を気にする傾向にあって、勉強もクラスメイトにその努力が見えないように朝早く学校に来て誰もいない教室で勉強したり、外見(自分の容姿や髪形)も気にしていたりします。佐伯君の努力は、両親との約束のためでもありつつ、周りの目を気にする自分のためでもあったのだと思います。この部分、今回の考察で結構重要なポイントになってきます。

学校では、あまり努力しているようには見せず、好成績を収め、当たり障りなく人と接し優等生を演じる佐伯君。もちろん、そういう人はモテます。佐伯君は学園のプリンスと言われ、彼の周りにはいつも女の子がたくさん集まっている、そんな状況でした。しかしながら、彼はその状況をしんどくも感じていました。世間の目を気にする一方、自分を偽り、その偽りの自分に好感を持たれていることにやるせなさも感じていたことと思います。

その、”周りの目を気にしてしまう自分”が本物の自分だとなんとなく気付いていながら、周りから評価されるために偽りの自分を演じなければならないというギャップ。しかも、演じること・努力することは両親に出された条件を守ることとも重なります。そして、この条件を守ることが珊瑚礁を守ること、自分のやりたいことを守ることにもなるのです。この複雑さが、彼が自分の「オモテ」と「ウラ」を曖昧にし、”本当の自分”というものを分からなくさせている原因だと考えています。「頼むよ、耐えられないんだ」というセリフは、この自身の存在の曖昧さにじわじわ苦しめられていた佐伯君の心の叫びだったのでしょう。

 

2.愛着形成と安全基地

佐伯君の”周りの目”を気にする性格は、両親との愛着形成に課題があったからだと考えてます。愛着というのは「自分自身の思いを受け入れてもらう経験を積んでいくこと」によって形成されていくものです。大人からしてみれば”良くないこと”であっても、しっかりと気持ちを受け止めてもらいながら聴いてもらうことが非常に大切です。共感してもらうことなく、「こうすることが正しい」「こうするのはダメだ」などと一方的に否定されてしまうと、その親の主張がいくら正しいものでも愛着形成はなされないのです。親は子どもにとっての”安全基地”であることが求められます。

おそらく、佐伯君は親から「こうするのが正しい」と親の価値観を押し付けられ、自分の思いにあまり共感してもらえなかったのでしょう。親の主張する”正しさ”に従い”いい子”になることで、親からの愛を享受するという形をとっていたのではないかと思います。親から出された条件に従うこともこれに当たります。「周りが求める姿を演じることで、自分は愛される」という不適切な愛着形成(佐伯君は不安型愛着だと思われます)による学びが、学校でも”ありのまま”の姿を出せない要因になっていると考えられます。

佐伯君にとっての安全基地ってあったのでしょうか。珊瑚礁や祖父(総一郎さん)は佐伯君にとって大切なものであり、安全基地でもあったと言えるかもしれませんが、全てを出し切れているわけではなさそうです。総一郎さんから、よく陰でこっそり泣いていたというエピソードもゲーム本編で聞くことができます。祖父のことは大好きだけれでも、総一郎さんは佐伯君の親とつながりのある人物で、自分が祖父に弱さを見せると親に伝わってしまう恐れがある、という危機感があったからなのでしょう。信じたいけど、信じきれない…佐伯君は総一郎さんのことを尊敬してはいたものの、同時に心のどこかで全てを曝け出せない罪悪感も抱いていたんだろうなぁと思います。純粋に、大切な祖父に心配をかけたくないという思いもあったと思います。本当に胸が締め付けられますね…。

幸運なことに佐伯君には安全基地になりうる人物がいました。それはGS2の主人公、”デイジー”です。幼い頃にキスを交わした女の子。それが佐伯君にとっての安全基地だと私は考えています。デイジーが佐伯君にとっての安全基地になれたからこそ、佐伯君は「頼むよ、耐えられないんだ」と別れを告げても、ちゃんとはばたき市(デイジーの前)に戻ってこれたのだと思います。佐伯君にとってデイジーは、同級生の中でも唯一珊瑚礁で働いていることを知っている人物であり、不愛想な態度を取ってもあっけらかんと変わらず自然体で接してくれる女の子です。そして、幼い頃に約束を交わした女の子でもあります。佐伯君はそんな彼女に少しずつ心惹かれていきました。自分の子どもっぽいところも、負けず嫌いなところも、そんな様々な欠点を知ってもなお変わらずに接してくれるデイジーに心を許していきます。珊瑚礁でアルバイトしている時のクリスマスイベント「ここにいてくれて、よかった」で、弱いところを曝して膝枕を要求するまでになったときには、本当に泣けてきます。このイベントを見ると、「あ、本当に心を許してくれたんだ」とこちらも心が満たされます。しかしながらその約1ヶ月後には別れを告げられることになるのですが…。「弱さを曝してくれたのに、なぜ…?」そんな風に思ったプレイヤーは多いと思います。「頼むよ、耐えられないんだ」と佐伯君に言われる、「別れのとき」というイベントは、主人公に対する最後の「お試し行動」だったとも考えられます。大事なものをすべてなくす恐れもある、自己破壊的な。「自分はこんなにもひどい人間なんだ。それでも変わらずに愛してくれるのか?」という。こんなお試し行動をされると、された側は普通傷つきます。そして、きっと佐伯君自身も、こんなことを好きな人に行ってしまう自分に強い罪悪感をおぼえ傷ついていると思います。デイジーが傷つくことを分かっていながら、でもその時の佐伯君はそうするしかない状態だったのでしょう。理性だけではどうにもならないことがやっぱりあります。

「別れのとき」というイベントはクリスマスイベントを見たあとだと、あまりのギャップに唐突だと感じる方もいると思うのですが、愛着の問題(思春期特有の悩みも合わさって更にややこしく…)と捉えると、そんなことも引き起こしてしまうくらい根深いのです。人を信じるということ対する不安はどんどん蓄積され、自己破壊的な行動につながる。大げさかもしれませんが、取り返しのつかないような自己破壊的な行動に繋がらなくて本当に良かったな、とこのイベントを見るたびに思います。

 

3.”本当の佐伯瑛”とは

佐伯君は「本当の自分」「自分らしさ」というのを見失った状態になりました。

では本当の佐伯君って何なのでしょう。

ゲーム本編の告白ED2で彼はこう語っています。

「やっとわかったんだ。ちっぽけなプライドなんて捨てればいいって。カッコ悪くたって、情けなくたって、しょうがない。だって俺は、こんなにおまえでいっぱいだから。」

佐伯君は、デイジーと離れる(距離を置く)ことで、自分の本当の気持ちに気付くことができました。本当の自分はまだ分からないけれど、デイジーのことを好きな気持ちは疑いようがないくらい確かなものだと自覚した、ということでしょう。このセリフには本当に泣かされます。たった一つでも自分の中の”本物”を見つけることができてよかったな、と。

ここからは自分が個人的に佐伯君に伝えたいことになります。

佐伯君は、自分が努力してきたこと(勉強と珊瑚礁での仕事の両立や品行方正で八方美人な態度)を、自分の子どもっぽい意地、親から”やらされているもの”という疑いがまだ拭いきれていないと思います。しかしながら、佐伯君は「自分の好きなものや大切なものを守る」という点では一貫した態度だったのかな、と思っています。たとえそれが親との約束であっても、佐伯君なりに真摯に大切なものを守るための行動だったのだと私自身は思っています。それは時に誰かを傷つけることもあるのかもしれませんが、佐伯君は自分の加害性にもちゃんと気付けているので立派だと思います(3年目の初詣後に「自分に正直で居ることと、人を傷つけないこと、なんとか、両方叶えてくれないかって」と語っています。これは自分に正直な行動は時に誰かを傷つける可能性がある、と気付いているということだと思います)。どれだけ人と誠実に向き合っても、時に人を傷つけることもあり得ます。しかしながら、そういう自分の加害性に気付ける人は、ちゃんとリカバリーできるでしょうし、対話的な姿勢で確かな関係性を構築していけるのだと思います。本当の自分は不変ではありません。少しずつ変化していくものです。きっと、人の目を気にして猫をかぶってしまう佐伯君も、陰で努力し続ける佐伯君も、全て本物の佐伯君なんだと思います。大切なものを必死で守り抜くために努力し続けた佐伯君は本当に素敵だなと、思っています。デイジーもそれを理解していることでしょう。

 

考察は以上になります!

これは考察になったのかな…。ちゃんとイベントのセリフを一文一文引用して丁寧に考察したわけではないですし、憶測で語っている部分もあるので、物足りない、あるいは解釈が違うと思われる方もいらっしゃると思います。でも、こういう解釈があってもいいかな、ということで大目に見てやってください笑

 

とにかく、佐伯君大好きです!!尊敬してます!!

デイジーと末永く幸せに過ごしてください!!

どんな佐伯君も自分は大好きです!!

私の思いはこんなところです。長文になってしまいましたが、お付き合いありがとうございました。