はばたき情報局

ときメモGSシリーズに関するあれこれ(攻略情報・小ネタ・考察など)を発信!

ときメモGSシリーズのすごすぎるゲームシステムを解説してみた①【好感度編】

みなさん、こんにちは!きぃです。
ときめきメモリアルシリーズをプレイし始めてからかれこれ25年以上。
GSシリーズだけでいえば18年ほどプレイしているでしょうか……。
そんな私ですが、今でもGSシリーズが大好きでプレイしたり、キャラクター考察したり、システム検証したりして遊んでいます。


いつまでも飽きずに楽しめているのは、ときめきメモリアルGSシリーズのゲームシステムがすごすぎるからだと思っています。(言わずもがな、システムだけではなく、各キャラクターもそれぞれに魅力に溢れています)

 

そんなGSシリーズがついにSwitchに移植するというではありませんか!
(2024年2月14日発売予定)

ときメモっておもしろいの?」
「なんとなく難しそうなイメージ」
「気になってるけど、購入まであと一歩踏み切れない」
ときメモのどこがすごいのか知りたい!」
「GSの魅力を友達に伝えたいけど、自分ではうまく言語化できない」
という方々に向けて、私が考えるGSシリーズの魅力を、今回は「ゲームシステム」に注目して解説してみようと思います。

 

伝えたい魅力がたくさんあるので、「好感度編」「アプローチ編」「学園生活編」の3回に分けて紹介します。

今回の記事は「好感度」にスポットを当ててみました。
好感度にまつわるゲームシステムから、GSの魅力をお伝えします。

(全くゲームをプレイしたことがない人には少々小難しい話もあるかもしれませんが、ご容赦ください。ある程度読み飛ばしてもらっても大丈夫なようにします)

 

好感度システムから見える魅力を先にまとめると

  • 内部パラメータの複雑さが人間や恋愛のリアルさを生み、好きになっていく過程に説得力を持たせている
  • 好きな人と向き合うことの大切さがわかる
  • 対等な恋愛ができる(プレイヤーと男の子のパワーバランスが絶妙)
  • 恋愛における自分磨きの必要性がわかる

というところかな、と思います。

 

それでは、詳しく解説していきますね!!

ようこそ、はばたき市の世界へ!!!

 

 

説得力しかない「好感度」システム

まず、「好感度」システムのすごさを解説していきます。
好感度とは、キャラクターがプレイヤーに対してどれだけ好感を抱いているかを示すものです。好感度が高くなれば、特別なイベントが発生したり、エンディングで対象キャラから告白されたりします。

 

GSシリーズの好感度システムは非常に複雑なのですが、その複雑さが「説得力」を持たせています。(後述しますが、その複雑さを理解していなくても楽しめるようになっているのでご安心を)

その説得力はどこから生まれるのでしょうか。
それを解明するために好感度システムについて説明していきますね。

1.好感度にまつわる4つの内部パラメータ(ときめき度、友好度、親密度、傷心度)

1-1.ときめき度と友好度

ゲーム内で確認できる好感度は、「ときめき、好き、友好、普通、苦手、キライ」の6段階評価です。

この6段階評価をするための内部パラメータが存在します。それが、ときめき度と友好度です(ゲーム中では確認できませんが、攻略本に明記されています)。これらをバランスよく上げていくことで、相手の好感度レベルが上がっていきます。

 

ときめき度は「恋愛的に惹かれる/異性として憧れる」

友好度は「人として惹かれる/友達として好き」
というようなイメージを持ってもらえるとわかりやすいかと思います。

 

面白いのが、「友好度とときめき度、どちらも上げないと好感度が上がっていかない」というところです。

これが何を示しているかというと、相手をドキッとさせる恋仲のような振る舞い(恋愛対象として意識してもらう)や外見的な魅力だけではダメで、内面的な部分や相手との心の距離みたいなものも大切にされている、ということです。

つまり、自らの人間力や、どれだけ相手と接してきた(丁寧に向き合ってきた)かというところも重視されるのです。

 

下校の時に「一緒に帰ろう」と誘ったり、定期テストでいい点を取ったり、デートでの会話だったり、ひと月に何回出会ったか、相手の誘いを受けたりあるいは断ったり……そういうプレイヤーの様々な選択・行動により、相手のときめきや友好度が細かく上下していきます。

そんな人生の中にある無数の選択・行動によって相手との関係性が変わっていくというのがとてもリアルですよね。

このリアルさが、男の子が”ゲーム中のキャラクター”を超えて”生身の人間”のように感じさせてくれますし、自分の行動に責任が伴うことで本当に高校生として3年間を過ごしているような気分にさせてくれるのだと思います。

 

1-2.傷心度

好感度を直接決定づける要素ではありませんが、傷心度親密度といった内部パラメータも存在します。


例えば、相手からのデートの誘いを断ったり、一定期間学園内外で出会っていなかったりすると傷心度が上がっていきます。傷心度がある一定のラインを越えてしまうと、爆弾が付き、その状態を放っておいてさらに相手を傷つけてしまうようなことをすれば爆弾が爆発し、ときめき度と友好度が大きく下がります。つまり、好感度が下がるということです。

 

どれだけ相手がプレイヤーに好感を抱いてくれていても、ずっと疎遠だったり、相手の気持ちを受け入れる姿勢を見せたりしないと相手は「大切にしてもらえてないな」と感じ、不安を募らせ、最終的には相手に苦手意識を抱くようになります。

このあたりも妙にリアルですよね。継続的に相手とのかかわりを持つこと、気持ちに寄り添うことの大切さも教えてくれているようです。

自分の言動で相手が傷ついているかどうかまで考えられるところは、なかなか他の恋愛ゲームでは味わえないかもしれません。しかもこのゲームの場合は、後でちゃんと挽回可能なところもいい。挽回できるところも含めて、男の子としっかり向き合えるような仕組みになっているところが素晴らしいと思います。

 

1-3.親密度

親密度は主にスキンシップで上下していく内部パラメータです。
GSシリーズは、スキンシップも重要視しているところがすごい。
スキンシップが増える、ということは相手の警戒心が薄れ、心の距離が縮まっている証拠になります。

 

好感度が上がっていくにつれ、男の子は徐々に様々なスキンシップを許容してくれるようになります。拒否されていたことを受け入れられ、喜んだり恥ずかしがったりする姿を見ると、こちらもうれしくなって相手のことをさらに好きになれます。会話だけでは見えてこない、スキンシップだからこそ見えてくる人間性みたいなものもあって、それがキャラクターの奥行きをだしてくれます。素晴らしい……。

 

個人的な推しポイントなんですが、「親密度は攻略条件に含まれない」というところがいいんですよね。つまり、スキンシップは無理にしなくていいということ。付き合う前から手をつないだり、腕くんだりしていいの??とか思うちょっと過激めのスキンシップもあったりするのですが、そういう関係に違和感があればスキンシップはしなくても大丈夫。GS男子たちはスキンシップに惑わされることなく、あくまでも人間として好きかどうかを重視しています。そういう恋愛に対する姿勢みたいなものも大好きです。

 

 

2.EDから見る好感度

では、次にエンディングに必要な好感度条件から、GSのすばらしさを解説していこうと思います。

GSには様々なEDが存在するのですが、ここでは特に主人公が男の子から告白されて恋人になる「告白ED1」について扱います。

 

告白EDを迎えるためには、様々な条件をクリアする必要があります。

告白EDの条件は

  • 好感度「好き」以上
  • 必須パラメータ○○以上
  • 傷心度○○以下
  • デート回数○○以上

の4項目が主になります(必須パラの種類や数値はキャラクターにより異なります)。

これを見て、「条件が多くて大変そうだなぁ」と思われるかもしれないですが、そこまで難しくはありません。

普通にデートを重ねて、相手と向き合っていればほとんどの条件はクリアできます。
気を付けないといけないのは、必要パラメータを満たしているか、くらいです。
例えば、学力の必要パラメータが100の場合、プレイヤーの最終的な学力が99に着地するとEDを迎えられません。どれだけ相手がときめいていてもパラメータ基準を満たせていなければダメなので、パラメータにはシビアなゲームだと言えます。

 

「結局スペック(能力)重視なんだね」と思われた方、ちょっと待ってください。
実は、このED条件にも面白い要素があります。

私の推しポイントの一つでもあるのですが、実は「パラメータ条件に緩和措置がある」のです。

緩和措置、というのはどういうことなのか説明します。

  • 好感度が「ときめき」で必須パラ-20
  • デート回数が20回以上で必須パラ-20

というものがあります。
学力が200必要なキャラであれば、最大で-40した160でも告白条件をクリアできるということになります。

 

これが何を意味するか分かりますか??
単なる「ボーナス」と捉えるのはもったいない。

これはあくまで私の解釈にはなるのですが、「大好きだからこそ/出会いを重ねて絆が深まって一緒にいたいという気持ちが強まったからこそ、頭で思い描いていた理想のタイプにこだわらなくなった」と考えています。

こう考えると、すごく素敵じゃないですか?恋愛の本質的な部分を捉えているんじゃないかなぁ、なんて思ってしまいます。

 

この緩和措置の条件はさほど難しくないですし、これを活用すれば自分の上げたいパラメータを上げていくことも可能です。つまり、相手の条件対して従順になりすぎる必要はなく、「自分らしさ」を大切にしながら男の子を振り向かせることができる、ということです。

両者のパワーバランスを問題視されがちな恋愛ゲームにおいて、ほとんど対等な関係で恋愛できるシステムになっているのは本当にすごいなと思います。

 

今回は一番スタンダードな告白ED1を例に挙げて解説しましたが、他のEDでもパラメータ要求値が下がるものがあるので、ぜひそこも含めて楽しんでもらいたいなと思っています。

3.自分磨きの重要性が分かる「パラ萌え」

ときめきシリーズで一番特徴的ともいえるのが、パラメータを上げていくところだと思います。勉強したり、運動したり、部活をしたり、バイトをしたりしながら、「学力/芸術/運動/気配り/流行/魅力」のパラメータを上げていきます。

 

頑張りすぎると限界を迎えて、病気になってしまうこともあります。なので、計画的に休みながら理想の自分を目指してパラメータを上げていくことになります。

 

毎週自分の行動を選択していくこのゲームシステムが、学園生活をシミュレーションしている気分にさせてくれますし、主体性が求められるからこその面白さも生まれます。

 

好感度の観点でいえば、「パラ萌え」というものがあります。
パラ萌えとは、毎月一定のパラメータ基準をクリアすると男の子の好感度が上がる、ということを意味する言葉です(公式に名付けられている名称ではありません)。

 

これがまた面白くて、パラ萌えを極めてうまく立ち回ると、一度もプレイヤーの方から男の子をデートに誘わなくても告白EDを迎えられる可能性が生まれるのです!(こういう楽しみ方もできます)

 

デートに誘うという直接的なアプローチをせずとも、自分磨きを頑張ることで男の子がプレイヤーの魅力に気付いてくれるのです。各キャラがそれぞれに注目しているパラメータがあるとはいえ、完全に男の子に迎合しなくてもいいので、こういう点でも両者のパワーバランスをうまくとってくれているように思います。

 

パラメータ上げは、相手にアピールするばかりではなく、自分自身も成長していこうという姿勢の大切さも教えてくれます。相手に求めるだけではダメで、自分自身もそれ相応の人間力を備える必要があります。

 

自分はこのゲームを通して努力することの大切さを学んだと思っています。
私が高校生の時は「佐伯君(GS2の王子ポジション)は陰であんなに努力している。自分も頑張ろう」と何度も自分を奮起させていました。

GSのおかげで、努力できる人間になれたといっても過言ではありません(しみじみ)。

 

ときメモはパラ上げは大変そう」というイメージを持たれている方も多いと思いますが、実際やってみるとそこまで難しくありませんし、やっていくうちに本当に自分が高校生になって学園生活を送っている気分になれます。なんなら、パラ上げが楽しくて仕方なくなると思います。ぜひ、挑戦してみてほしいです。

 

4.おわりに

今回は「好感度システム」に注目して、GSシリーズの魅力を語ってみました。
いかがだったでしょうか。

 

  • 内部パラメータの複雑さが人間や恋愛のリアルさを生み、好きになっていく過程に説得力を持たせている
  • 好きな人と向き合うことの大切さがわかる
  • 対等な恋愛ができる(プレイヤーとキャラクターのパワーバランスが絶妙)
  • 恋愛における自分磨きの必要性がわかる

ここに少しでも魅力を感じていただけたあなたには、GSシリーズを存分に楽しんでいただけるのではないかと思います。

 

好感度システム一つとっても、GSシリーズは恋愛の奥深さを数値やシステムにうまく落とし込んでいるのを感じていただけたら嬉しいです。

 

次回は「アプローチ編」ということで、GSには男の子との距離を縮めるための様々なアプローチ方法があるので、それを紹介しながらGSの魅力に迫っていけたらと思っています。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!!

氷室零一の「アンドロイド性」について【考察】

久々のブログ更新となりました。

書きたいことは山ほどあるのですが、色々なタスクに追われてなかなか手を付けられず……。

今回は、氷室先生中心webアンソロジー『ときめき♡せんせぇしょん!』に寄稿させていただいた考察をそのまま公開いたします。

当アンソロジーの専用webサイトがあり、そちらに私の考察も含めた全作品(小説・イラスト・漫画)を閲覧できるようになっていますので、ぜひそちらも見ていただけたけたらと思います。とてもかわいいデザインのサイトです!!期間限定公開の可能性もあるので、お早めにどうぞ!!リンクは👇になります。
ときめき♡せんせぇしょん webサイト

 

以下、本文です。宜しくお願いします!!

↓↓↓

 

氷室零一の「アンドロイド性」について

目次

1.はじめに

2.氷室零一の家族関係について

3.イベント、会話から考える「アンドロイド性」

3-1.『ため息』とジャズ

3-2.氷室零一とホラー

3-3.氷室零一と爬虫類

3-4.親友ルート

4.概念と現象

5.おわりに

 

1.はじめに

はばたき学園の生徒から「アンドロイド」と表現されることのある、はばたき学園数学科教員の氷室零一。今回は、なぜ彼が「アンドロイド」と呼ばれるのか、またなぜそのような人物になったのかを、ゲーム内のテキストと公式小説を参照しながら考察していこうと思います。

まず、「アンドロイド」とは何か、というところから押さえていきます。アンドロイド的な要素・性質をここでは「アンドロイド性」と名付け、氷室零一のもつアンドロイド性について明らかにしていきます。

アンドロイドとは、人造人間とも呼ばれ、人型ロボットなど人間を模した機械や人工生命体の総称とされています(Wikipedia「人造人間」参照)。つまり、氷室零一は人間の姿はしていても、人工的で人間らしからぬ要素を持っている、ということです。

人工的で人間らしからぬ要素(少々暴力的な表現にはなりますが、人間的ではない要素)とは具体的にどういうことを指すのでしょうか。何を“人間的”と呼ぶのかは人によって異なると思いますし、人間というものはあまりに多様なので、これに対する明確な答えは存在しないということ前提に話を進めていきます。

氷室零一の「アンドロイド性」というものは、①表情(感情表現)の乏しさ、②(社会の規律を守るという限定的な意味での)完全性という二点からきていると私は考えています。

①表情(感情表現)の乏しさについて

教師としての氷室零一は、喜怒哀楽をほとんど示しません。例えば、ルールを守らない生徒に対して叱ることがあっても、「怒り」を感じるような声色や表情は出さず、常に冷静沈着、淡々と話します。しかしながら、完全に感情を隠せているかと言えばそういうわけでもなく、氷室零一と藤井奈津実の静かなる対決を見ることができる「ナイスキャッチ」イベントでは、「無駄だ。私には通用しない」というときに挑戦的で不敵な笑みを浮かべる。そういうところを見ると、「感情がない」というよりも「感情表現」の幅が一般の人よりも狭いだけともとれる。この時折見せる僅かな感情表現を見出していくことに、氷室零一ルートの良さを感じる人もいるでしょう。

②完全性について

氷室零一は、校内での規律や社会のルールに厳しいことも特徴的です。例えば、GS3では逃げる桜井兄弟を追いかけるときでも、廊下では必ず歩きます(だから一生追いつけない。かわいい)。規律だけでなく、何かを行うときも必ず綿密な計画を立てて実行するという意味での完全性もあります。吹奏楽部では「完全な調和」を目指していますし、体育祭前の下校会話では「私は半年前から生徒の身体能力を分析し、綿密な計画を立ててきた」という発言も見られます。そういう意味での非の打ちどころのなさが氷室零一にはあって、このような完全を求める姿勢が生徒にとってはアンドロイド的に感じられるのかもしれません。

ここまで、氷室零一の「アンドロイド性」について簡単に触れてきました。第2章では、なぜ氷室零一がこのような「アンドロイド性」を有したのか、その過程を彼の家族関係から探っていきます。また、第3章では彼のアンドロイド性を感じられるいくつかのイベントや会話をピックアップしながら、氷室零一という人物を深めていきます。第4章では、公式小説に出てくる「概念と現象」について語ります。これは彼のアンドロイド性を深めるうえで重要なところになるかと思います。

 

2.氷室零一の家族関係について

ここからは相坂ゆうひ著、内田明里原案・監修の公式小説『ときめきメモリアルGirl’s Side ②』(電撃文庫の内容を参照しながら、氷室零一の幼少期や家族について書いていきます。

氷室零一の家族関係についてはゲーム本編の方ではあまり詳しく書かれていないのですが、公式小説の方では割と家族に関する記載(主に父親について)があります。小説を公式の設定と言えるのかどうかについては微妙なところですが、一応内田明里原案・監修の小説なので、これを公式設定としても問題はないかなと。

氷室零一の家族構成は、公式小説を読む限り、母、父、零一の三人家族だと思われます。母親は「良家の出で幼いころからピアノの英才教育を受けて育った」、父親は「ジャズピアニスト」と小説には記載されています。両親ともにプロの音楽家で、演奏のためにあちこちに飛び回っていたようです。氷室零一がピアノを弾ける、しかも演奏技術が高いということにも納得ですよね。

ただ、ずっと三人で暮らしていたわけではないようで、氷室零一が幼い頃(ある程度言葉は扱える時期のようなのでおそらく小学生頃)に両親は離婚し、父親が家から出ていき、母親に引き取られる形になったようです。離婚の原因については語られていません。

氷室零一がアンドロイド的な要素を持ち始めきっかけは、この幼い時期の家庭環境が一番にあるように思います。特に「感情表現」に関しては、この時の家庭環境に大きく影響を受けているのではないかと私は思いました。

氷室零一はなぜ感情表現が乏しくなってしまったのか。その理由は以下の二点。

①人(親)と関わる時間が短すぎた。

②自分よがりな感情表現は人を困らせてしまうと学習した。

これが氷室零一の感情表現の乏しさにつながったと考えています。では、この二点に関してもう少し具体的に見ていきたいと思います。

【①人(親)と関わる時間が短すぎた】

第二章の初めの方に、氷室零一の両親はプロの音楽家で、演奏のためにあちこちに飛び回っていたと書きました。その演奏旅行に子ども(零一)も連れて行っていたとしたらまだよかったのかもしれないのですが、公式小説を読む限りでは、両親が演奏会のために飛び回っている間は家で一人過ごしていたと読み取れます(これだけを見るとネグレクトっぽく感じますが、実際のところはよく分からないので何とも言えません。母親を嫌っているわけではなさそうなので、少なくとも一人でもちゃんと過ごせるように環境は整えていた、とは思います)。

なぜ親と関わる時間が短いことが感情表現の乏しさにつながるのか私なりの考えを書いていきます。私は教育学・心理学の知識をもとに考察を深めていく傾向にあります。見方に偏りがあるかと思いますが、その点ご理解いただければと思います。

幼少期は親との関わりを通して、感情の概念や言語を獲得していきます。もちろん大人になってからも常に学習し続けるのですが、幼少期は特に親との関わりによって言語の獲得が急速に進み、また愛着やアイデンティティの形成に大きな影響を与えます。親から掛けられる言葉、自分の行動に対する親の反応、微笑みかけられたり、優しく抱かれたり……そういう親とのコミュニケーション(言語・非言語)の蓄積が、その子どもの世界を広げます。意味のない世界が広がる中で、言葉を掛けられることでパターンを学習し、少しずつ概念を学習していきます。親との関わりを通じて、世界を広げていくのです。

氷室零一の親は音楽家であちこち飛び回っていたという記述があり、両親が零一と関われる時間は比較的短かったのではないかと推測します。公式小説にこのような記述がありました。

「音楽の道に進むかどうかを考えるまでもなく、氷室少年はいつもピアノの前にいた。両親は演奏旅行に出かけることが多く、氷室は幼いころから広い家でひとり、音と戯れて過ごすことが多かった。人間と会話するよりも、ピアノと会話する時間が長かった。」

出典:相坂ゆうひときめきメモリアルGirl’s Side②』

“人間と会話するよりも、ピアノと会話する時間が長かった”

この部分がポイントかなと思います。「人間との会話」と「ピアノとの会話」ではその会話の質は大きく異なります。人間との会話では、自分が発した言葉や行動に対する相手の反応がその時々によって変化しますが、ピアノは基本的に反応に変化はなく、調律されていれば鍵盤を押さえるとその鍵盤に対応した音が返ってきます。また、その音程や音量は自分でコントロールできてしまいます。相手の反応をコントロールできるかどうか、予測可能かどうかというのが人間とピアノ(モノ)との大きな違いかと思います。

相手が人間であれば、同じ言葉をかけたとしても、相手のその時の気分や経験等によって反応は変わりますし、相手が変わればまた反応も変わってきます。その反応の違いが概念に多様性をもたらし、その言語や感情の理解の精度を上げていきます。「笑う」という表現一つをとっても、嬉しいときもあれば、面白いと感じるときも笑うことがありあり、また相手の言動に戸惑うことで愛想笑いする場合もあり、「笑う」にも多様性があります。人間と深く関わっていくことで、感情表現の幅が広がっていくのです。

しかしながら、氷室零一は人間よりもピアノと会話する時間の方が長かったと公式小説に書かれています。ピアノや音楽から学ぶことは多々あったと思いますが、幼少期の感情の精度は人間と十分に関わりを持てた子と比べてもやや低かったのではないかと思います。氷室零一は「無表情」と評されることもありますが、それも感情表現(感情概念)の乏しさが一つの要因ではないだろうかと考えています。

【②自分よがりな感情表現は人を困らせてしまうと学習した】

「氷室先生ってなんでいつも冷静でいようとするんだろう」

これは氷室零一を攻略している時に私が思ったことです。なにかトラブルが生じたときに、感情的になってしまうと余計にこじれてしまうことが多いのは経験上分かっているのですが……。彼は冷静な態度を示しつつも、内なる熱い感情をにじみ出すような言動を時々するなと思っていたので、なぜあんなにも冷静であろうとするのだろうと考えていました。

「大人」「教師」として、冷静に状況を把握し生徒を導いていきたい、という気持ちもあるんだろうと思います。ただ、それだけではなさそうです。公式小説にこのような記述がありました。

「父が悪いわけではない。母が悪いわけではない。離婚はふたりが出した結論だし、それに異を唱えるほど氷室は子どもではなかった。また、感情的でもなかった。

もともと心のうちを表現することは苦手だった。表情、声、言葉。そんなものでどうやって、この形のない「心」などというものを伝達しろというのか。」

 

出典:相坂ゆうひときめきメモリアルGirl’s Side②』

この部分だけ読むと、氷室零一は生まれながらにして“冷静”な子だった、感情表現が苦手だった、とも読み取れるのですが、あくまで氷室零一の“主観”でしかない、と捉えれば、もう一つの見方ができます。

私としては、元来冷静だったと考えるよりも、人との関わりの少なさによる感情概念の学習の欠如と親の離婚が彼の“冷静さ”に大きな影響を与えている、と考えた方が自然だと思いました。感情概念の学習の欠如については①で述べたので省略し、親の離婚に焦点を当てて考えます。

親の離婚というのは、子どもにとって非常に大きなイベントです。両親の何とも言えない不穏な空気感を感じ取り、子どもの心を不安定にさせます。今まで当たり前のように一緒に過ごしていた人が急にいなくなる、家族ではなくなる……その大きな変化は、子どもを動揺させます。感情もあまりに大きくなりすぎると、特に悲しみや苦しみなどの負の感情は自分自身の感覚を麻痺させます。場合によっては、失感情症(アレキシサイミア)に陥る場合もあります。おそらく氷室先生はその診断が下されるまでには至っていないと思いますが、アレキシサイミアの傾向は多少あるのではないかと思います。

「離婚はふたりが出した結論だし、それに異を唱えるほど氷室は子どもではなかった。」と書かれているのですが、これは過剰な感情表現が人を困らせる、トラブルを悪化させるということをどこかで学習したのでしょう(そしてこれは不全感にも繋がります)。なので、自分の負の感情を抑え、極力感情を出しすぎないという癖が自然と身についたのでしょう。これはあくまでも私個人の憶測なのですが、こう考えるとなんとも切ないですよね……。

親の離婚は子どもにとってあまり良い影響を与えない(場合によりますが)のですが、氷室零一は分かりやすく道を外すようなことはしなかった、というのが興味深いところなんですが、それは、氷室零一にはピアノ(音楽)があったからなのではないかと私は考えています。

氷室零一の音楽に関するスチル(「ピアノを弾く氷室先生」「少しラフな氷室先生」「ジャズのメロディに乗せて」)では、氷室零一の感情が表情や音に現れます。何が言いたいかと言うと、氷室零一はピアノ(音楽)を通じて自身の抑えていた感情を表出できていたからある程度気持ちの整理ができ、大きく道を外すようなことがなかった、ということです。ピアノや音楽に日常的に触れていた氷室零一が唯一感情を流すことができる方法。わざわざ言葉にしなくても「音」や「リズム」に形容しがたい感情、抱えきれない大きな感情を表現することができる。

また、この見方はかなり切なくて胸が苦しくなるのですが、家に音楽が溢れていた氷室零一にとって、音楽が「家族のつながり」を感じられる唯一のものだったのではないかとも私は考えています。音楽さえ続けていれば、たとえ父と離れて暮らすことになっても「つながり」を感じていられる。「人とのつながり」は人に安心感をもたらします。氷室零一にとってのピアノ・音楽は、形容しがたい感情を表出するツールであり、また家族のつながりと安心感を得られるツールでもあったのではないかと思いました。

氷室零一の「アンドロイド性」の源泉がなんとなく見えてきたでしょうか。次章では、ゲーム内の会話やイベントから垣間見える氷室零一のアンドロイド性と私なりの考察を簡単に書いていきます。

3.イベント、会話から考える「アンドロイド性」

3-1.『ため息』とジャズ

まずは、氷室零一の音楽関連イベント「ピアノを弾く氷室先生」「ジャズのメロディに乗せて」から、氷室零一について考えていこうと思います。第2章でも述べましたが、氷室零一にとって、音楽というものは感情の表出をするのに非常に意味のあるものとなっています。このイベントにはどんな意味が込められていたのか、私なりに考察していきます。

見出しにある『ため息』とは、イベント「ピアノを弾く氷室先生」で聴くことができるリスト作曲のピアノ曲のことです。ちなみにこれは、『3つの演奏会用練習曲』の第3曲に当たります。

このイベントは氷室先生の好感度が友好になった直後に発生します。つまり、主人公のことが気になり始めたタイミングになりますね。そのタイミングで、放課後静かな音楽室の中で一人、「ため息」を弾いているのです。なんか、意味ありげですよね……。

『ため息』の曲調に関しては、氷室零一を攻略したことのある方なら聴いたことがあると思いますが、改めてWikipediaの解説から、この楽曲の特徴を見ていこうと思います。

アレグロ・アフェットゥオーソ、変ニ長調、4/4拍子。

ここで特に注目したいのは「アレグロ・アフェットゥオーソ」。「アレグロ(allegro)」は「陽気な・快活な」という意味で、特に音楽用語では「速く」という意味で使用されています。静かに流れるような曲ですが、結構忙しなく色んな音が鳴っていると思います。結構速い曲なんです。そして、「アフェットゥオーソ(affettuoso)」の意味がなかなかにエモくて(私の好きな音楽用語でもあります)、「やさしく、愛おしく」という意味があります。

アルペジオと両手で旋律を歌い継いでいく練習曲。

これ、曲集名にもあるように「練習曲」なんですね。アルペジオというのは和音を同時に出すのではなく、和音を構成する音を一音ずつ順番に弾いていく演奏法のことで、これが指を動かすいい練習になります。そして、アルペジオで正確にリズムを刻みながら、その上で旋律を紡いでいく。またWikipediaには「流れるような甘美な旋律が曲を通して歌われ、後半には「タールベルクの三本の手」の技法が典型的な形で用いられる。」との記載もあります。

アフェットゥオーソ、アルペジオ、流れるような甘美な旋律。

見事なまでに氷室零一という人間を表すに相応しい曲だと思いませんか!?アルペジオは氷室先生らしい正確性・規律が表現されていますし、アフェットゥオーソと流れるような甘美な旋律は、感情の芽生えのようなものを感じさせます。この『ため息』という曲には主人公に抱いた新たな感情を音楽として表出するために演奏したのではないかなと私は考えています。また、公式小説では家族への思いが込められているような書き方をされていました。主人公とのかかわりを通じて得た感情をきっかけに、家族に抱いていた言葉にできない感情もふいにこみ上げてきたのかもしれません。言葉にならず“ため息”しか出ないけれど、それは負のイメージを持つため息ではなく、もっと温かい意味のこもったため息なんだろうなと思いました。

この解釈が正しいかどうかは分かりませんが、とてもエモいので個人的には推していきたいです笑

さて、次に好感度「好き」以上で見ることができる3年目のクリスマスイベント「ジャズのメロディに乗せて」について。

このイベントの注目ポイントは、あのクラシック好きの氷室零一が「ジャズ」を演奏しているというところです。

クラシックは基本的に楽譜に忠実に演奏することが求められます。まさに氷室零一っぽいですよね。しかし、ジャズというのはリズムを色んな形に崩しながら即興で演奏するようなスタイルになっています。「スウィング」という言葉で表現されるリズムですね。

ここでも氷室零一の家族が絡んできます。第2章の最初に、父親はジャズピアニストだったと書きました。ジャズは離婚して家を出た父親が演奏していたジャンルなのです。氷室零一は、特別ジャズを好んでいたわけではないと思うのですが、ジャズへの抵抗感はなかなか拭えなかったのではないかと思います。ジャズを演奏するということで、自分を育ててくれた母親を裏切るような感覚もあったでしょうし、リズムを崩しながら即興で変化させていくその音楽表現は、感情表現が苦手な氷室零一にとってはとても難しいもので、なおかつ気持ちの整理がついていない父親の面影を感じてしまうということにも抵抗感があったと考えられます。そんな氷室零一が、その時すでに明確に自覚していたかどうかは定かではありませんが、恋愛的な好意を抱いている主人公のいる場でジャズを演奏したこと、これはとてもすごいことなのではないかと個人的には思っています。

無色透明な自分に彩りを与えてくれた主人公。その「彩り」を音楽で表現するためのジャズであり、主人公を通じて得たもっと精度も彩度も高い感情によって、父親への気持ちもある程度整理できたからあの場面で今まで忌避していたジャズを演奏できたのではないかと思います。あのイベントは氷室零一の人間的な成長、別の言い方をすれば「アンドロイド的な氷室零一」からの脱却を表現する、非常に感動的で感慨深いイベントだと読み取ることができるのではないでしょうか。

3-2.氷室零一とホラー

氷室零一には「ホラー好き」という設定があります。これ、ずっと謎だったのですが、今回の考察を期に色々と考えてみた結果、自分なりに納得のいくものが見つかったので、それを説明していこうと思います。

ホラー関連のイベントに「オバケ!?」というものがあります。ここでの氷室零一の発言から、彼のことを深堀りしていきます。

では、早速イベントのセリフの一部を見てみましょう。氷室零一が自分の過去を語る貴重なイベントでもあります。

「いたずら好きの友人が私を町内の肝試し大会に連れ出した。おそらく私の泣きっ面でも見てやろうと思ったのだろう。途中、彼は私を置き去りにした。しかし私は負けなかった。なみいるお化けに、たった独り敢然と立ち向かった。やがて出口にたどり着いた時、私は口元に微笑さえ浮かべていた。そしてそのとき、私はお化けの恐怖を完全に克服したのだ」

 

こんな感じで、小学二年生の時の氷室少年の話(武勇伝)を拝聴することができます。

これ、単なるお化け克服に至るエピソードではあるのですが、氷室零一というキャラクターを説明する上で重要な要素だとも思いました。

第2章に括弧書きでさらっと書いた「不全感」に関わってきます。自分よがりな感情表現は他人を困らせてしまうおそれがある、そして、子どもの私が親の離婚をどうすることもできない、という経験と学習から、自身に“完全ではない私”という思いを植え付けてしまう。おそらく、このお化け克服までは自分に自信を持てない子どもだったんじゃないかなぁと推察します。

この肝試し大会の一件で、自分の「弱さ」を克服するという体験をしたことによって、自分は弱い人間ではない、一人でも困難に立ち向かえる力を持っているという自信に繋がったのでしょう。ただ、これには少々問題があって、自分の弱さを完全に克服してしまったと思い込むことで、ネガティブな自己表現・感情表現を抑え込むことにもつながってしまったのではないかと私は考えています。また、一人で生きていける、という過信も。この完全無欠感が氷室零一の「アンドロイド性」に通じていると考えることもできるのではないでしょうか。

あと、ホラーに関してもう一つ。氷室零一とのデー…じゃなかった、二人きりの社会見学でホラー映画を観に行くことがあります。そこで、主人公がホラー作品に対して否定的な反応を示すと、氷室零一は「この作品はただのホラーではない」と慌てて作品の擁護に回ります。これは、氷室零一がホラーというジャンルを自分自身と重ねてみているからだと思うんですよね。「ホラー=怖いもの」と認識している人は多くいると思います。ただ、ホラーでも人間の根源的な部分を描くものもあります。氷室零一は「もはや哲学とも言える」と発言しています。ホラーと一口に言っても、その内実は多様なんですよね。氷室零一は学校では規律に厳しく、“怖い”というイメージを持たれがちです。でも、実際は怖いわけじゃない。好意を寄せている主人公には私の本質を見てほしい、知ってほしい、という思いが込められているのでは?と思いました。ホラー映画デ……社会見学をそういう風に見ると、氷室零一がすごくかわいく見えてきますね☺

3-3.氷室零一と爬虫類

ホラーもそうなんですが、氷室零一は結構いろんなものを自分と重ねていたり、シンパシーを感じていたりするんですよね。

そのシンパシーを感じているものの一つが「爬虫類」。動物園の社会見学(3回目)で、主人公が「先生とどこかよく似た爬虫類です」と答えると、好感度が好き以上のとき「確かに……私は爬虫類に対するシンパシーを禁じえない……。しかし、それは大きなお世話だ。」と返します。面白いですよね。

爬虫類の何とシンパシーを感じるのか、自分なりに考えた結果「体表が鱗に覆われている」というところかな、と思いました。鱗というと、爬虫類だけでなく魚類も有しているのですが、なぜ魚類ではなく爬虫類の方にシンパシーを感じたのでしょうか。

魚類と爬虫類の鱗には

・魚類:皮膚と独立しているために強い刺激があるとパラパラと剥がれ落ちる

・爬虫類:皮膚と一体化しているために、強い刺激が加わっても剥がれ落ちることはない。

という性質の違いがあります。

「強い刺激が加わっても剥がれ落ちることはない」というのが、見事に氷室零一の「アンドロイド性」を表す表現だなぁと思い、一人で納得してしまいました。

鱗を覆い、脱皮しながら成長していった氷室零一。んー、愛おしいですね。鱗によって完全性を保っていながら、でも自分の本質部分も知ってほしいというのもなんとも切ない設定ではあります。

ちなみに、余談になるのですが氷室零一が爬虫類以外にシンパシーを感じているものがあって、それがはば学のプリンス「葉月珪」です。葉月君は両親と離れて暮らしているので、そのあたり家庭環境がちょっと似ている感じはしますね。親と離れて暮らした者同士、シンパシーを感じる部分があってもおかしくはないなと思いました。これは、葉月珪と氷室零一の外出イベントで確認できますので、ぜひ見てみてください。

3-4.親友ルート

DS版で追加された罪深い新要素「親友」。なんと教師である氷室零一も親友にすることができます。

この親友ルートでは氷室零一の良さがまた少し違う角度から味わえますし、アンドロイド性が垣間見える会話も色々とあるので、そのあたりを中心に語っていこうと思います。

氷室零一の親友ルートでは、彼の恋愛観・ジェンダー観的な部分でアンドロイド性が見えてきます。まずは、親友ルートで見られる、デート後・下校での会話を中心に見ていきましょう。

まず、彼の女性観というのがかなり特殊と言いますか、見事なまでのステレオタイプなんですよ。「異性として意識してもらうには?」という質問に対して、「髪にリボンなどをつけてみてはどうだろうか。華美にならぬよう、注意が必要だが」と回答します。氷室零一はピュア属性好きなので、髪にリボンをつけている女性は彼の好みでそういう意味でアドバイスとしたともとれるのですが、リボンを「女性を象徴するアイテムの一つ」として捉えている側面もあるんだろうなと思います。恋愛経験がほとんどないと自分で言っているので、女性との接触は必要最低限に留めていただろうし、これまでに私が述べてきたように女性だけでなく人との関わりを深く持つこと自体を避けてきた部分があると思うので、「ステレオタイプに頼ってしまう」のも頷けます。ステレオタイプな答えを言っておけば、恋愛のアドバイスになると思っている節があるのでしょう。

恋愛観についても同様です。「キスについて」「男の人について」という話題になったときは、キスという単語に過度なリアクションをとったり、異性について知りたいという気持ちを「思春期特有の悩み」として位置づけ、保健体育の先生に相談することを勧めたりしてきます。ここで分かることは、彼の恋愛観は特に「性的な部分」にフォーカスされている、ということです。恋愛というのは性的な関係が全てではないはずなのですが(もっと言えば、性的な関係を排除し恋愛関係を築いているカップルもいる)、キスや男の人の話になったときのあの慌てっぷりを見ると、氷室零一は「恋愛≒性的な関係」と思っているのではないかと推察できます。もちろん、社会的にまだ未熟であることが多い高校生が性的な関係を持つことの危険性も知識としてあるからこそ、主人公が性的なことで後悔することが無いようにアドバイスをしている、と捉えることもできます。

次に、親友デート時のデート評価会話を見ていこうと思います。

デート選択肢によって評価が変わることは皆さんご存じだと思います。評価〇の選択肢を選んだときは、「フム……この調子だ。評価はBだ。本番での健闘を祈る。」と言います。デートをABCで評価してしまうあたりがアンドロイド感ありますよね。デートというのは本来数量化できるものはないと思うのですが、デートでの様々な要素をまるでテストの採点をするかのように数量化して総合的に評価してしまうところがまさに彼らしい部分だなと思います。
でも、これが面白いことに評価◎(バッチリ好印象)のときは、「充実した一日だった。つい、評価を忘れていた……もうこんなことをする必要も無いかもしれないな」と言うんです。このセリフが非常にエモーショナルでお気に入りなのですが、ここに彼の恋愛に対する概念に広がりを持ち始めるのを感じられるのでいいですね。主人公と関わることで単調なアンドロイド性から抜け出していくその様子を端的に表すいいセリフだなと個人的に思っています。

親友ルートでも彼のアンドロイド性が見事に表現されていて面白いですね。

次章では「概念と現象」というテーマで、今まで書いてきた彼のアンドロイド性についてまとめていこうと思います。特に親友ルートはまさにこの概念と現象の葛藤を分かりやすく描いているというのが分かるのではないでしょうか。

4.概念と現象

さて、「概念と現象って何?」と思われた方、たくさんいらっしゃると思います。ゲーム本編ではあまり使われていないと思うのですが、公式小説の方ではこの「概念と現象」というのが非常に大きなテーマとして書かれていて、度々この言葉が登場してきます。

ここまで紹介してきた彼のアンドロイド性について、この「概念と現象」でほぼ説明できるかなと思います。長い文章で疲れてきているかとは思いますが、もう少しお付き合いいただけると嬉しいです。

さて、まずは概念と現象という言葉の意味を押さえておきましょう。

【概念】

①物事の概括的な意味内容。

形式論理学で、物事の本質をとらえる思考の形式。個々に共通な特徴が抽象によって抽出され、それ以外の性質は捨象されて構成される。内包と外延をもち、言語によって表される。

【現象】

①人間が知覚することのできるすべての物事。自然界や人間界に形をとって現れるもの。

(②に関しては哲学を学んでないと訳わからないと思うので省略します)

引用元:goo辞書

 

理解しやすいように簡単に言ってしまえば、概念は抽象、現象は具体、と捉えてもらっていいと思います。そして、氷室零一のアンドロイド性というのがこの「概念」に当たります。様々な現象の共通項を抽出して言語で表現したものを概念と考えてもらってもいいかもしれません。つまり、「ステレオタイプ」というのもいわゆる概念的なものなのかもしれません。goo辞書にもあるように、概念は「物事の本質を捉える思考の形式」と表現されています。“本質”という言葉はゲーム中でも何度か出てくると思いますし、彼が好んで使っている印象があります。概念のこの性質がなかなかに厄介で、物事の“本質”だと思わせる力があることに問題があります。概念とは物事の概括的な意味内容でしかなく、一部の性質が捨象(無視)されてしまう、という特徴もあります。彼は、物事を概念的に捉え、それを正しいと思い込んでいるのですが、それは概念があたかも物事の本質を捉えているように見えてしまうからです。本質主義の危険なところは、決めつけを生んでしまうことや、人間は本質的に不変であると思い込ませるところにあると私は考えています。本当はもっと多様であるはずの人間をありのまま見ることができなくなる恐れがあります。

氷室零一は、正しいことが好きです。なぜなら、正しいことをしていれば批判されることはほぼないからです。規律を守っていれば、少なくとも罪に問われることはありません。これは、彼にとって社会に適応していくための一つの方法だったのでしょう。ただ、罪に問われないからと言って規律を遵守したり、押し付けたりすることが加害的ではないとは言い切れません。法や規律も完璧ではないので、例えルールを守れていても人を傷つけることは多々あります。実際誰しも傷ついた経験あると思いますし……。氷室零一の厳しさが生徒にとって時に加害的に映ることもあり得るでしょう。彼と深く関わることができればその問題はある程度解消できるかもしれませんが……。

とはいえ、「氷室先生は厳しいけど、柔軟なところもあるよ!」と主張したい人もいるでしょう。これについては私も同意しています。なぜ、こんなにも物事を概念的に捉えているにも関わらず、時に彼に対し柔軟性も感じるのか。自分なりに考えたことを紹介しようと思います。

氷室零一の柔軟性は、「教師としてあるべき姿」「知識量(語彙の豊富さ)」から生まれているのではないかと思います。

彼は「教師」というものを、生徒を教え導くという上下の関係でとらえている部分もあるのですが、それと同時に「生徒の可能性を信じるべき存在」とも考えているんですよね。この辺りは私の過去の考察で語っているのでそちらで読んでいただければと思います(ブログ→『はばたき情報局』)。生徒の可能性を信じるというのは多様性を受け入れていくことと似ています。理想的な教師でありたいという強い思いが彼に多様性をもたらしています。面白いですね。

また、氷室零一は「たくさん勉強してきた人=知識量が豊富」だと思います。ある研究で、語彙の豊富さと共感能力には相関があるという結果が出ています。例えば、シャーデンフロイデ(Schadenfreude)というドイツ語があるのですが、これは「他人の不幸を喜ぶ」という感情を示す単語です。喜びという感情の一種です。「喜び」という言葉についてポジティブなイメージを持つ人が多いと思うのですが、喜びにも様々なものがあります。シャーデンフロイデという言葉(概念)を知っていることが「喜び」にもネガティブな要素があることに気付けます。つまり、語彙が多ければ多いほど、他人の細かな感情に共感しやすくなるということです。氷室零一はたくさん勉強して多くの語彙を獲得してきたからこそ、ある程度の共感能力、社会への適応能力を持てたのではないでしょうか。しかし、全ての感情に言葉がついているわけではないですし、仮にそれが存在したとしても全て覚えることは非常に困難です。語彙が多い人は共感能力が高い、というのはあくまでも“傾向”の話であって、実際には語彙が少なくとも共感能力が高い人は存在します。語彙が少なくても共感能力が高い人は、「喜び」という言葉にも多様性があることが感覚的に理解している人だと思います。公式小説でいうとそれが最終的に氷室零一と結ばれる主人公「二宮未緒」なんです。彼女は学力が低いものの、感情粒度が高い。感情を言語化するのは苦手だが、一つの言葉に様々な意味が含まれる可能性に感覚的に気が付いているんですよね。一見、ネガティブに見えるような事象でも、彼女はポジティブに捉えることができる。それが氷室零一の「概念」に多様性を生んでいったのです。告白セリフの「無色透明な私に彩りを与えてくれた」は、きっとこういうことなんでしょうね。全ての言葉、物事の実際は実に多様で、それが「現象として捉える」ということなのだと思います。

親友モードでの会話で、主人公が「このまま、終わっちゃいそうな気が……」と氷室零一に相談するものがあるのですが、これ、実は二種類の反応があるらしく、ある条件を満たすと見れるその会話がまさに「教師と生徒」という概念と、親友でありながら心のどこかで主人公に恋愛感情を抱いてしまっている「一人の人間」としての心の葛藤を想像することができます。このセリフを主人公に伝えるときに、どれほどの覚悟を持っていたのか、そして教師として恋を応援する親友としての概念と格闘したのかが見えてきて泣けるので、気になる方はぜひ親友氷室の攻略を頑張ってみてほしいです。主人公と関わることで、彩りのある世界を知ったにもかかわらず、教師として親友としてそれを断念しなければならないその苦しさを想像すると、本当に胸が締め付けられます。

氷室零一にとっての概念とは、「人や物事との距離を適度にとって感情に振り回されないための手段」であり、「社会に適応するための手段」でもあるんじゃないかな、と私は考えています。自分の感情や相手の感情と距離を置いて、社会の規律に従順になることで自分を守ってきたけど、それが人間的な要素を排除することになり「アンドロイド性」を帯びていく結果となってしまったのでしょう。しかし、アンドロイドっぽくなっていったその経緯を見ていくと、そこには人間味が隠れています。今回の考察でそういう部分も分かってもらえたらいいなと、私は思っています。

 

5.おわりに

さて、様々な角度から氷室零一の「アンドロイド性」を考察してきました。彼がなぜ周囲からアンドロイドと評されるようになったのか、どのような経緯でアンドロイド性が現れ、そしてアンドロイド性から解放されたのか、今回の考察でそれが伝われば幸いです。

個人的には、今回の考察で一見謎な要素である「ホラー好き」にも言及できてよかったなぁと思っています。公式小説からは彼の家族関係について知ることができ、彼のことを深める良いきっかけになりました。

親友ルートでは、通常ルートでは味わえない彼の良さに気付くことができました。今回の考察を読んで気になった方はぜひプレイしてみてほしいです。

というわけで、非常に長い考察になってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました!GS4では「教頭」として登場するみたいです。また彼がどんな風に変化しているのかとても楽しみです。中間管理職である教頭という立場になって、また彼はいろんなことを学んでいることでしょう。

 

 

*********

 

以上です!
かなりのボリュームになってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました!!

氷室先生の考察については過去二回記事にしていますので、そちらも読んでいただくとより理解が深まるかと思います。

 

key-habataki.hatenablog.com

 

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この記事をきっかけに、氷室先生を攻略したいな!公式小説を読んでみたいな!と思っていただけたら最高に嬉しいです!!

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ときメモGS4発売前のキャラ雑感➀【風真・颯砂編】

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こんにちは!

4月21日(水)にGS公式アカウントから怒涛の発表がありましたね。
新キャラクター【白羽大地】の発表、花椿みちる・ひかるのCV発表、体育祭イベント・オンリーショップ・コラボカフェの発表……。


公式サイトもリニューアルされ、本当に発売するんだなと更に現実味が増してきた感じがします。新たなはばたき市は、もう、すぐそこ…!

公式サイトのリンクはこちら☟☟☟

www.konami.com



さて、公式サイトでキャラクターのサンプルボイスの追加、新キャラの追加がされたので、ここらでGS4キャラに対して自分が思ったこと感じたことを色々書いてみようと思います。

私個人のただの妄想でしかないのですが、これも発売前の楽しみ方の一つだなと思っています。予想が外れていたとしてもそれはそれでよい、くらいの気持ちで読んでいただけたら幸いです。


*****

 

【風真玲太(かざま りょうた)】



風真玲太くんはGS4の王子キャラ!ということで、期待している方多いと思います。
黒髪で清潔感のある爽やかな男の子って感じですよね。

 

彼の注目すべきところは、主人公とは幼馴染で尚且つ最初から主人公に恋心を抱いているのではないか、というところです。
はばたきウォッチャーのイベントでは主人公の行くところに必ずと言っていいほど風真くんが(偶然を装って)出没してくることから、ストーカー疑惑もかけられています笑

”偶然”と言えば、リニューアルされたサイトの風真くんのキャラクターページに

「もう、偶然でかたづけられない。」

と書かれていましたね。

なかなかにインパクトあるセリフで、すでにGS4の名言入りしそうな予感です。

この「偶然」が作為的なものなのか、本当に偶然なのかで印象がガラッと変わりそうな気がします。
公式イベントでは、作為的な印象を強く感じたのですが、今回の

「もう、偶然でかたづけられない。」

というセリフから、もしかしたら本当に偶然なのでは?とも思うようになりました。
”偶然”を作り出しているのであれば、その主人公への一種の執念とも取れる思いの強さから、ときメモ4の幼馴染キャラ・大倉都子さんのようにヤンデレしそうな気もします。あれぐらいのヤンデレキャラはこれまでGSには登場しなかったので、こういうキャラがいてもいいかなとは思うのですが、なんとなくGSの雰囲気にはあってないような気もしていて、個人的にはもう少し柔らかさ・爽やかさの感じられる表現になるのではないかなと思っています。

個人的には「本当に偶然説」を今回推していきたい。
ではなぜ、偶然であれほどまでに主人公と遭遇できるのか……。


映画プーと大人になった僕にこんな名言があります。

「どこかへ行きたいと決まっていると、どこかのほうが来てくれる。」


一種の”引き寄せの法則”的なものを感じますね。

スピリチュアルな感じの引き寄せの法則は個人的にあまり好きではないのですが、しかし、自分の「思いの強さ」に応じて望んでいるものを引き寄せる、というのは割とあり得ると思っています。というか、GSの世界観がそんな感じですよね。心に思い描いた人のところに連れて行ってくれる…とかまさに。

主人公を付け回しているわけではなく、主人公のことを考えていたら本当に偶然主人公とばったり遭うみたいな、そんな感じじゃないかなと思いました。

なんか、風真くんは「ロマンティック・ラブ」への憧れが強そうな気がします。
「消しゴムのカバーの裏に好きな人の名前を書いて使い切ったら両想いになれる」

みたいなおまじないを真面目に信じて実践してそうな感じありますよね。

学業の成績が良い背景に、消しゴムを消費するためにすごく勉強した、とかあったら可愛いですね笑

恋愛に関しては自分の世界に浸りきっていて、過去の主人公の面影を引きずっていたりしそうな気もします。幼いころの主人公と今の主人公はきっと変わらないところもあるだろうし、変化しているところもあるでしょう。それは風真くん自身も同様で……。思いが強すぎるが故に空想と現実との乖離が起きておかしなことにならないか心配です笑それがもしかしたら彼のテーマになってたりとか…するのでしょうか。

歴代王子のストーリーは他キャラよりもやはり濃厚なので期待ですね。
主人公の反応に右往左往してしまう風真くんを見れたらいいな。

 

*****

 

 

【颯砂希(さっさ のぞむ)】

 

GS4の運動キャラ!
デカスロン完全優勝するという大きな夢を持っている男の子です。

正統派の運動キャラって感じで最初は印象が薄かったのですが、はばたきウォッチャーのイベントで主人公と一緒に砂浜を走りながらちょっとドキドキしてる颯砂くんを見て個人的に好感度が爆上がりしました笑

インタビューの受け答えも丁寧で、主人公を気遣う優しさも随所に感じられて、どこに出しても恥ずかしくないいい子だなぁという印象を持っています。

さて、颯砂くんのこれまでの運動キャラとの違いは、ロジカルに計画を立て運動に取り組んでいるところだと思います。これまでは成績下位になりがちだった運動キャラですが、颯砂くんは平均よりちょっと上くらいの成績かも……!と思っています。ロジカルさを大切にしているという点で学力キャラ(本多行くん)や先生キャラとの絡みもたくさん見られそうな気がしていてちょっとワクワクしています。

注目パラが運動・学力とかだったら面白いなと個人的に思っていますが、これまでの運動キャラ恒例運動・気配りのセットの可能性も十分ありますね。運動キャラと気配りパラの親和性が高すぎる。颯砂くん自身も気配りできるキャラっぽいですし。

颯砂くんのストーリーは「ロジカル」というところに焦点を当ててきそうな感じがしますね。
今回追加されたボイスに
「だからさ、自分の身体だけで原因を探っていくと、俺みたいにドツボにはまる。」

というのがありました。
自分の身体感覚だけから原因を探り、解決していこうとするのは良くない。もっと客観的で広い視点も必要、ということなのかな。

颯砂くんはこれまでに、理論とかロジカルさは無視して割とがむしゃらに運動し、ケガをしたり記録が伸び悩んだりした過去があったのかなぁと勝手に想像しています。
そこから、科学的根拠に基づいたロジカルな方法に魅力を感じて、実際にそこから成果も出してきているのでしょう。彼のロジカルへのこだわりにはそういう背景がありそうな気がしますね。

しかしながら、科学から導き出されるものってあくまでも”傾向”でしかなかったりします。必ずしもすべての人に当てはまるものでもない。科学を信仰しすぎることによって、偶に出会う自身の科学からの逸脱に対応しきれなくなる可能性もあります。
特に、恋愛とかそうですよね。人間の数とその組み合わせの数だけ、幸せな恋愛の形というのが存在して……。恋愛においてはなかなか論理的に説明できないような身体感覚を伴うことも多々あります。主人公を好きになっていく過程で現れてくるであろう、ロジカルさとは対極にあるそういった身体感覚と颯砂くん自身がどう向き合っていくのかなというところが個人的には楽しみです。大接近やスキンシップでそのあたりの葛藤が見れそうな気がしていて、とても楽しみです。


客観主義的なところがありそうな颯砂くんが恋愛とデカスロンを通して、どのように主体と客体のバランスをとっていくか、そこが見どころになってくるのではないかなと予想しています!



というわけで、今回は風真くんと颯砂くんのキャラ雑感を書いてみました。
この予想は当たるかもしれないし、当たらないかもしれません。発売前の一つの楽しみ方として捉えてもらえたらなと思います。
GSはいい意味で期待を裏切ってくれることが多いので、とても楽しみです!

次回は本多・七ツ森編になると思います。
皆さんの発売前の考察もぜひ聞かせてほしいです☺

それではまた!

【クリストファー・ウェザーフィールド】自由について【考察】

さて、今回はGS2の芸術キャラであるクリストファー・ウェザーフィールドくん(以下、クリス君)の考察をしていきます。

 

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彼は優しくて、ほんわかしていて、使う言葉に柔らかさと可愛らしさがあって、癒されますよね。しかし、クリス君自身を攻略していると、彼からどこか”焦り”のようなものを感じます。今回はその焦りはどこから来ているのか、そして、彼の最大のテーマである「自由」について私が考えたことを書こうと思います。

 

 

 

1.クリス君の境遇について

 

クリス君を語る上で、クリス君の置かれている境遇について最低限知っておいた方がいいと思うので、簡単に触れておきます。

クリス君は高校を卒業したら父親の仕事を継ぐと決意しています。そして、仕事を継ぐために高校生活の合間に仕事もこなしています。本編では仕事関連のイベントが3つあって、主人公が一日秘書としてクリス君の仕事に同行する場面もあります。

 

「高校を卒業して本格的に仕事をし始めたら、きっとやりたいことが自由にできなくなる」という思いが彼にはあって、それが彼の活動の原動力の一つになっているような気がします。すでに決まった道があるからこそ、時間の制限を強く意識してしまうんですよね。高校生活3年間が彼にとっての自由な時間なのです。

彼がいろんなことにチャレンジし、時に周りから見ると破天荒なことも平然とやってのけるのも、学生の間にしか味わえない”自由”を満喫するためだったのかもしれません。このことを踏まえると、二宮金次郎や靴箱をカラフルにしたり、女の子の誘いを断ってまで水墨画にチャレンジしたりするのもなんだか納得できますよね。

 

高校生にしてすでに明確な進路が定まっている彼ですが、親の仕事を継ぐことに対しては納得しているようです。「仕事は嫌やない」と言ってますし、親も職場の人もいい人たちに恵まれているみたいです。ただ、彼の頭の中では、仕事と自由がどうしても結びつかないようで、そのことに葛藤しているわけです。自由ではなくなるから、今のうちにやれることはすべてやっておきたい……。その気持ちは行動するための原動力にもなるのですが、時に時間に追われているような焦燥感も伴います。楽しそうに、そして自由に生きているように見える彼に時々焦りが見えるのは、自由を満喫したいと思っているのに同時に時間に縛られている感覚もあるからなんだと思います。やりたいことをやっているはずなのに自由になれている感じがしない、これが彼の悩みなのでしょう。

 

2.時間を大切にすること、意味をもたせること

 

クリス君を攻略していて一番に思ったのは、「とても時間を大切にしている人だな」ということです。はばたき城での「クリス御前」イベント、修学旅行での「竹林」イベントでは、歴史の話(おそらく義経源氏物語)をした後に、主人公に記念撮影しようと提案してきます。思い出を写真におさめるという行為も、「今」という時間を大切にしたいという気持ちが強いからだと思います。3年目のクリスマス(スキー)では、「心のクリスアルバムにまたステキな思い出が追加や」と言ってますね(かわいい)。

また、彼はネガティブな話をした後にいつも主人公に「こんな話をしてしまってごめんな」と謝ります。好きな人とのせっかくの二人きりの時間なのに、ネガティブな話に時間を使うことに罪悪感があるから謝ってしまうのでしょう。(好きな人のネガティブな話はむしろ聞きたいものなんですけどね。この件に関しては星野源さんの『くせのうた』を聴いてもらいたい。)

 

このあたりでちょっとお気づきかもしれません。彼にとっての「時間を大切にする」ということは「いろんなことをする(チャレンジ/思い出作り)」「意味ある時間を過ごす」ということなのです。彼がいつも溌溂としていて、ポジティブな言葉・綺麗な(かわいい)言葉を発したり、人にやさしくしたりするのは、ネガティブなことに時間を割くことへの罪悪感みたいなものもあるからなのだと思います。もちろん、彼自身がすごく美しく優しい感性を持っているというのもあります。

 

仕事イベントの一つである「1人で反省会」では、仕事で失敗したことを反省するクリス君が描かれています。仕事でやらかして、社員さんの今までの努力が水の泡になりそうだったのに、父親からは叱られることはなく、むしろ「ええ勉強になったなー」と笑われるクリス君。自分のミスで他の人の努力(貴重な時間)を無駄にしてしまう恐れがあったのにも関わらず、それを重いこととは捉えられず笑い飛ばされてしまったことに、他の社員さんに対する罪悪感が増幅してしまったようです。「時間を大切にすること=意味を持たせること」と思っているからこその落ち込みだと思います。

このイベントを見て、社会人になって数年くらいはこんな風に思っていたなぁ、と昔の自分を思い出しました。失敗するのが怖くて、他の人に迷惑をかけたり時間を奪ったりすることが申し訳なくて、やろうと思っていても動けなくなってしまうことも多々ありました。でも、失敗というのはつきものなんですよね。どれだけ周到に用意をしても失敗するときは失敗する。その時に、次うまくいくようにするにはどうするかを学び取ったり、責任を個人に押し付けずに、個々人の努力を認め、皆で責任を引き受けるような温かい空気を作り、次の仕事への活力に繋げていくことが大事なのだと、今は思っています。これこそが、組織で動いていくことの醍醐味ではないでしょうか。クリス君の父親が彼の失敗を笑い飛ばしたのは、そういうことを学んで欲しかったからなのだと思います。イベントの最後に、クリス君が父親としっかり話してみると言っていたので、きっとお父さんから失敗を笑い飛ばした真意を聞けたのではないでしょうか。(こんな風にちゃんと父親に自分の気持ちを伝えるあたりもクリス君の誠実さが伝わってきて大好きです)

 

3.「サクラ舞う」イベントを読み解く

 

クリス君の最難関イベント「サクラ舞う」(告白未遂イベントを見てからのお花見デート)から、もう少し「意味を持たせること」について考えていこうと思います。

 

このイベントではクリス君がある短歌を口にします。

 

『世の中に 耐えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』

 

これは古今和歌集に収録されている、在原業平の歌ですね。

現代語訳はこんな感じです。

 

『この世の中に、全く桜というものがなかったなら、春を過ごす人の心はどんなにのどかであることでしょう』

 

この歌から、桜を否定的に捉えることもできるのですが、どちらかというと桜は人の心をこれほどまでに動かすほど素晴らしいものだと称えている、という意味で捉えるべきかなと思います。

 

この短歌を詠んだ後に、クリス君はこう続けます。

 

『意味があるんかないんか、分かるまでに時間がかかりそうや』

 

と。ここで「意味」という言葉が出てきます。ここから彼が「意味のあること」にこだわっていることが伺えるのではないかと思います。

 

将来が決まってしまっているクリス君にとってこの短歌は、自分に将来とか目標とかなければもっと自由に生きられていたのかな、と考えさせるものだったのではないかと思います。こんな風に自分の将来が決まっていることに意味はあったのか、そして自分が3年間自由を求めてがむしゃらに挑戦していることには意味があるのか……と。意味に囚われてしまうと、しんどくなってしまいます。後から意味のないことをしていたと分かったら、時間を無駄にしてしまったと罪悪感を抱いてしまいますしね。

 

「意味があるんかないんか、分かるまでに時間がかかりそう」

意味というのはそういうものなんじゃないかと私は考えています。

意味というものはその瞬間に現れるときもあるし、ある程度の時間がたってから意味を持ち始めることもあります。場合によっては、時間の経過によって意味が変化していくことだってあります。

 

そう考えると、あらゆることに意味を持たせようと行動するのはとても難しいことですし、そもそも意味が出現するタイミングや意味の変化の仕方は今後の私の生き方によって変わってくるので、無理に意味を持たせる必要なんてないように思います。意味があるかどうかわからないけど、今この時間に意味があったらいいな、今の時間をこの先「いいものだったな」と振り返れたらいいな、という気持ちでいたほうがいいんじゃないかと思います。そうすることで、今とこれからの行動・人生をもっと大切にできるようになるのではないでしょうか。

 

クリスマスイベントで、クリス君の親が言った言葉が、まさに今私が書いたこととつながってきます。

 

『将来の進むべき道だけを見て、いま、歩いてる道に咲いているキレイな花を見ないのはアホのすることやで』

 

未来のことばかり考えて、今ある幸せを見逃すことの愚かさを見事に表現しているセリフですよね。先を見据えることって大事なのかもしれませんが、今を大切に生きること、今ある幸せをちゃんと受け取りながら生きていくことの方が大事だと私は思っています。このセリフは心に刻んでおきたいですね。

 

告白EDで

 

「キミと会うて帰った日は……楽しかったんもモチロンやけど、ゆっくり……のんびりできてん。すごく久しぶりに」

 

とクリス君が言ってくれるのですが、これって「いま歩いている道に咲いているキレイな花=主人公」ってことですよね。主人公の存在が、主人公と一緒にいる時間が、彼に本当の自由を与えていたということだと解釈しています。
『特大キャンパス』イベントでは、商店街のシャッターにピンクのバラの花をクリス君が描くのですが、その花言葉「あったかい心、満足」なんですよね。あのイベントでクリス君が描いた絵は主人公への感謝の気持ちと、この大切な時間を忘れないでという思いが込められていることが分かります。スチル自体は地味なのですが、すごくいいイベントなのでぜひ皆さんにも見ていただきたいです。主人公と一緒にいるときは、時間から解放されていたんだろうな。

3年間という限られた時間を意識して時間を大切にしてきたつもりが、かえって時間に縛られて本当の自由を見失わせていました。主人公の存在がそれに気づかせてくれたと思うと、人を好きになるってことはこんなにも素敵なことなんだなと感動してしまいます。

 

4.まとめ 自由について

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自由って難しいですね。

「自由=他からの制限を受けず、いろんな選択肢があること」ということだと思うのですが、実際本当の自由を手に入れるのはなかなか難しい。クリス君のように、自由を求めすぎるがあまりに”自由”に支配(制限)されることもあるのです。

自由になるための条件って色々あるとは思うのですが、その中でも「好きなことを大切にする」というのは誰にでも当てはまるのではないでしょうか。恋愛もそうです。

結婚したら自由がなくなるなんて言う人もいますが、個人的にはそんなことないと思っています。もちろん、お金の使い方とか時間の使い方にはある程度制限が出てくるとは思うのですが、本当に好きな人と一緒に居れるということは精神的な自由をもたらすと考えています。結婚を息苦しく感じてしまう人は、お金や時間の自由に囚われることで、今ある幸せを見逃しているだけなのかもしれません。また、いろんな人と恋愛すること(浮気)が自由だとも思いません。心の底から愛する人と一緒に生きることは、一見世界を閉じているようにも思えるのですが、好きな人と向き合って信頼を重ねていくという経験は結果的に世界を広げていくことに繋がっていくと考えています。”閉じる”ことでかえって”開かれる”こともあるんですよね。”一芸を極める”というのも、閉じながら開いていくことの一つの形だと思います。

自由のイメージにとらわれてしまって、自由を見失っている人は多いと思います。色々しているのに自由になれている気がしない、なんか息苦しい……そんな風に感じている人は「自由」という言葉の意味を捉えなおすところから始めてみるといいかもしれません。(偉そうなこと言ってますが、自分もよく自由に囚われて苦しんでいます笑)

 

クリス君は仕事をしているということもあって、社会人になってから攻略すると色々と刺さるものがありますね笑

働くということや、自由について考えさせられます。

 

色々言葉足らずで分かりにくい部分もあったかと思いますが、今回の考察はこの辺でおしまいにします。質問があれば遠慮なくどうぞ。

 

最後に、かわいいクリス語録の中で気に入ったものを一つ。おみくじの「小吉」を「こきち」と読むのは有名だと思うので、別のもので……。

私のクリス語録の推しは「ジョイジョイ!」です。

テストで上位(2位~50位くらい?450点以上)をとると、これが聞けます。

ジョイというのは「上位」のことなんですが、なんだか「JOYJOY」と言われているみたいで楽しい気持ちになりますよね笑

 

それでは、また次回の考察でお会いしましょう!

【真咲元春】運命のいたずらと意志の力【考察】

真咲先輩!お誕生日おめでとうございます!!

電話の第一声、「真咲だけど」で有名な真咲先輩。
本編ときメモ1の親友(悪友)キャラ・早乙女好雄と同じ声優さん(うえだゆうじさん)ということで、本家もプレイしていた身としてはとても胸熱だったことを覚えています。

 

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さて、考察のために久しぶりに真咲先輩を攻略していたのですが、なかなかいいテーマというかキーワードを見つけられず難航していました。プレイ中は自然と「かっこいい~」「好き!」を連発していたのですが…笑
でも、自分なりに3年間しっかりと真咲先輩と向き合ってみて、なんとなく真咲先輩のテーマ・キーワードが見えてきました。それが「運命」と「意志」です。なんかかっこよく言ってますが、大したことは書けないと思います💦

それでは、考察(と呼べるほど深くはないですが)を始めていきたいと思います!!
PS2が故障している関係で今回はゲームのキャプチャー画像を貼れませんでした。ご容赦ください。)

 

 

 

1.無難な人生と自信

 

ときメモGSに登場するキャラは何かに秀でていることが多いのですが、真咲先輩はそれが特にないんですよね。しかも、主人公が高校1年生の時には、すでに大学生という設定で校内で関わることもできません。

彼を知ることができる場所はバイト先の花屋『アンネリー』だけ…。なので、他のメインキャラと比べると語られる部分が少ないんです。

そういうこともあって、今回の考察は本当に難航しました。

特別悩んでる様子もなさそうだし、大きな夢や目標みたいなのもない…それでも、真咲先輩を攻略していると、どんどん彼の魅力に惹かれていくんです。年上という事もあって、とても頼れる人で、気遣いもできて、ドライブデートもしてくれるというめちゃくちゃカッコよくていい人で……ただ、これはわざわざ語らずとも誰しもが分かる魅力なんですよね。

…………と、真咲先輩に対してこういう印象を抱いたわけですが、「特別悩んでる様子もなさそうだし、大きな夢や目標みたいなものがない」というのが、まさに真咲先輩のテーマなのでは!?と思いました。(主に描かれているのは、3年という年の差による葛藤だと思いますが……)

真咲先輩って、ものすごく頼りになるし、デートではいつもリードしてくれるんですけど、実は自分に自信がない人なんですよね。自己肯定感がすごく低いというわけではないし、自分自身のこれまでの人生を悲観的に見たり、否定したりするわけでもないのですが、かといって自信があるわけではない、という。

真咲先輩って好きな事や得意なことはたくさんあるのですが、必死になって打ち込んできたものがないんです。
勉強に関しては直感・ひらめきタイプで、あまり努力しなくてもそれなりの成績をとれたということもあって苦労はしていません(少し話が逸れますが、個人的には、真咲先輩ってIQが高い人だと思ってます)。

料理に少しこだわってみたり、ホラー作品を楽しんだり……でもそれは趣味の範囲にとどまっていて、自慢できるようなものでもありません(真咲先輩自身がそう思ってるだけで、料理できるのは素敵な事だと思いますが……)
ボーリングに関しては高校生の時にはばたき市の大会で優勝するくらいの実力があり、のめりこんだ時期もあったようですが、大学生以降は趣味として楽しむ程度に。

 

真咲先輩は高校生活を振り返るようなイベントや会話がたくさんあるのですが、いつも主人公に対して「後悔のないように」「精一杯楽しめよ」みたいな言葉をかけてくれます。先輩としてのアドバイスでもあるのですが、この言葉の裏には、真咲先輩の「ただなんとなく」過ごしてしまっていた高校生活への後悔からきているようにも思います。友達とバカやってなんとなくそれなりに過ごしてきた高校生活も、それはそれで大切な思い出として懐かしんでいるので、すごく後悔している、というわけでもないのですが……(思い出を肯定的に捉えて大切にしてるところ、個人的にはすごく好きです笑)。ただ、特別頑張ったこともないから、自信につながっていないんですよね。それゆえに、3つも年が離れているにも関わらず自信を持って語れるようなことがないことに先輩として焦りを感じている。真咲先輩が主人公に対してどこか控え目でグイグイといけないのは、元来からある真咲先輩の優しさ(主人公を大切にしたいという思い)と自信のなさからきているのではないかと私は思いました。

 

本気になれることを見つけるってすごく大変なことなんですよね。GSキャラは何かしら夢を持っているキャラが多いですが、真咲先輩は日々をなんとなく生きてて……でも高校生の大半は真咲先輩のような生き方をしている人の方が多いと思います。そこがすごくリアルで、共感できるところでもあるんですよね。本気になれることを見つけられるかどうかって、本人の力だけではどうにもならないことだと私は考えています。どういう環境に身を置いていたか、どういう人と関わってきたか…そういった環境的な要因も大きいと思います。これって「運命」だと捉えることもできるのではないでしょうか。

3年目の初詣の後に真咲先輩が自宅前で、卒業後主人公と自分(先輩)の関係はどうなるんだろうみたいな話をするのですが、その時に真咲先輩が「なるようになるか…」と言うんです。
「なるようになる」
そういう考え方、生き方が真咲先輩のこれまでの人生を物語っているんですよね。でも、3年目の初詣の時の「なるようになる」は彼が高校生の時とは多分重みが違うんです。この時は、「なるようになる」という気持ちと、「でもきっとそれではいけない」という相反する気持ちが同居しているように私は感じました。勝手な解釈かも知れませんが……。

真咲先輩が高校生の時と大学3年生の時で、言葉の重みが変わったのはそこに”意志”が含まれているかどうかの違いがあったからだと、私は考えました。

 


2.意志の力

 

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大学生3年生(好き状態)の時の真咲先輩にあったのは、”本気の気持ち”。主人公に対する「本気の愛情」。「自分が心から愛したい」という強い意志。

今まで真咲先輩の人生に欠けていた強い意志が、主人公と出会い、関係を深めていくことで生まれていくんですよね。

個人的に真咲先輩のイベントの中でも特に好きな『電話の相手は?』で、真咲先輩の主人公への本気の気持ちが分かります。
このイベントでは、ドライブ中に真咲先輩の大学の友人・桜井さんから電話がかかってきます。そこで、桜井さんが真咲先輩が主人公に対してどれだけ毎日真剣に思っているのかという事を伝えてくれるんですよね。

『もうね、大変なんだよ、真咲のヤツ。君のことで毎日毎日、あーでもない~、こーでもない~って。』

真咲先輩は主人公のいないところで、こんなに主人公のことについて真剣に考えて思い悩んでくれているんですよ!!!こんなエピソード聞いてしまったら…もう、ね。
前述したとおり、真咲先輩は今までここまで何かに真剣になれた事って多分ないんですよ。初めて本気で真剣になれた、初めて恋愛関係になりたいと思える相手に巡り合えたんですよ。色んなことが中途半端だった真咲先輩のエピソードを知っていると、この桜井さんからの情報にすごく感動するし、ときめくんですよね。

 

初詣で半凶が出たとき、
『なんだ?そんなにオレの微妙っぷりを自覚させたいのか、ここの神様は!』
と言うのですが、このセリフに真咲先輩が自分自身のことをどう思っているか、というのが如実に表れています。


自分からしてみれば、あれだけ料理もできて、バイトでは優しくサポートしてくれて、デートでエスコートできるんだから、もっと自信を持っていいのに、と思うのですが、真咲先輩にとってはそうじゃないんですよね。そう思ってしまう気持ちもなんとなく分かります。
だからこそ、心から大切にしたいと思える主人公と出会えて本当に良かったなと思います。

真咲先輩にとっての主人公ってまさに「運命の人」なんだなと思います。
今まで微妙にすれ違って恵まれてこなかった『運命』。そして、運命の人に出会った時に、自分の意志の力、努力で運命をしっかりとモノにした。それが真咲先輩ルートなんだろうなと思います。

色んなことが中途半端で本気になれるものが見つからないという人、なんとなく日常を過ごしてしまっている人、現実世界には山ほどいると思います。だからこそ、真咲先輩に共感できる人は沢山いると思いますし、強い意志と努力で運命をものにした真咲先輩に感動できるんだと思います。

年上で、頼りになって、料理もできて、面白くて、ちょっとキザで……それだけでも十分魅力的なんですが、真咲先輩の魅力の本質は、今までなんとなく生きていた人が自分の意志で運命の人をつかみ取ったその姿勢にあるのではないか、と私は思いました。

 

ちょっと今回はなかなか考えがうまくまとまらず、変な文章になってしまっていると思うのですが、少しでも魅力が伝わったら幸いです。

最後に、真咲先輩の好きなところを一つ。

ストレートに「かわいい」とたくさん言ってくれるところ!!

こんなに「かわいい」って言ってもらえたら、本当にかわいくなっちゃいますよね。
真咲先輩を攻略してたらちょっと魅力パラが上がった気がします(多分気のせい)。

というわけで、今回も最後まで読んでくださってありがとうございました!!


【設楽聖司】手放すということ【考察】

今回はGS3の芸術キャラ、楽聖司先輩の考察をしていこうと思います。

自分の考察を晒すのはちょっと勇気がいるキャラではありますが、これも一つの考え方という事で温かい目で読んでいただけると嬉しいです。

設楽先輩を語る上で何がキーワードになるかな、と考えていたのですが、タイトルにもなっていますが、『手放す』というのがキーワードの一つとしてふさわしいかなと思いました。

手放すとは、どういうことなのか。
手放すことで彼はどのように変わっていったのか。

今回は、告白のセリフをたどりながら、イベントを少しかいつまんでいく感じで考察していこうと思います。

 

 



1.ピアノへの固執と自己中心的な世界

 

『ここには……はば学には、ピアノをやめるつもりで入学したんだ。だから、初めはピアノに近寄ることすらしなかった。ピアノから逃げて逃げて…………なのに、気付いたら音楽室に通うようになってた。俺にはピアノしかないってどこかではわかってたんだ。そんな未練がましい自分が嫌でしょうがなかった。弾けば弾くほどピアノも自分も何もかも嫌になる。あの頃はもう頭の中がぐちゃぐちゃで、自分でもどうしたいのかわからなくなってた。』

 

彼はかつて様々な国際ピアノコンクールで賞をとり、神童とも呼ばれていたのですが、中学2年生の時にコンクールでロシアの少年に負け、「これには勝てない」と絶望し、更にプライドも自信もズタズタにされてしまいました(これは『決心』イベントで語られます)。それを機にピアノをやめることを決意したのですが……結局気付けば音楽室に赴いてピアノを弾いてしまっている自分、ピアノ以外に自分には何もないという現実を突きつけられ、自己嫌悪に陥ります。出会ったばかりの頃の設楽先輩がやたら攻撃的な口調なのも、このような精神状態にあったからだと思われます。

 

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彼にはピアノしかありませんでした。ピアノだけが彼の価値を高め、自尊心を保たせてくれていたのです。ピアノの実力(あえて才能とは言いません)がありすぎたがゆえに、気付けはピアノ以外の選択肢が見えなくなっていました。周りからも相当褒められたでしょうし、チヤホヤされたとも語っているので、ピアノ以外の楽しみや逃げ道を持つことを周りの人からも塞がれてしまっていたのだと思います。ピアノへの固執はここからきているのではないでしょうか。この執着心と閉塞感……彼が「呪い」と表現してしまうのも頷けます。

 

自身の高い演奏能力と、環境的要因によって、彼は自己中心的な世界をより強固なものにしていきます。彼の自己中心性は様々なところで見られます。好感度「普通」状態の時に見れる、『雨宿り』イベントもそのうちの一つかなと思っています。

 

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雨宿りイベントの解釈はなかなか難しいのですが、あれは「主人公を雨でびしょ濡れにしたくない」という気持ちよりも、「自分より主人公が濡れていたときの周囲の目が怖い」という気持ちの方が強かったのではないかと思っています。”周りから自分がどうみられるか”というところに囚われているあたりが、自己中心性の高さを物語っています。しかし、このような考えに至ってしまう気持ちもなんとなく理解できます。なぜなら、彼は今まで常に人に見られ、評価される場に晒されていたからです。ピアノコンクール然り、格式高いパーティー然り。彼にとって、人にどう評価されるかというのは自分の自尊心に大きく影響していたのではないでしょうか。


とはいっても、この雨宿りイベントではやっぱり「主人公への気遣い」もあるでしょう。周りの目を気にする自分も、主人公を気遣う自分も、どちらも本当の設楽先輩なんだと思います。このイベントは好感度「普通以上」で見れるというのがポイントで、好感度によって微妙に解釈を変えられるところが面白いんですよね。さっき、「周りの評価>主人公への気遣い」と言いましたが、これは好感度が普通の時の解釈で、友好状態になったら「周りの評価≧主人公への気遣い」、好き状態だと「周りの評価≦主人公への気遣い」と段階的にプレーヤーに与える印象を変えていく柔軟さがあると思います。好感度が高くなるにつれて、「周りの目が気になる」というのが主人公を雨から守るための建前のように思えて、とても可愛いです。ツンデレですねぇ……😊

『黒板消し』『耳に入ったら……!』イベントでは、彼の頑固さが見えます。これも自己中心性の一つと言ってよいでしょう。主人公に黒板消しの叩き方をアドバイスされると怒っちゃいますし、タンポポ攻撃する主人公にも本気で怒ります。今まで何をしても自分が正解で、頂点にいた彼にとって、アドバイスをされるのは不服でしょうし、綿毛が耳に入ると耳が聞こえなくなるという冗談も信じ切ってしまってるあたり、彼の見えている世界、創り上げてきた世界の狭さが垣間見えます(少々辛辣な表現になってしまいましたが、ディスってるわけではないです)。しかし、最終的には黒板消しイベントでは、偶然性はあったものの新たな学びを得て、ちゃんと主人公のアドバイスを受け入れられるようになっています。なんだかんだ体験的に得られたものはちゃんと受け入れられるところが可愛いですし、彼の良いところだなと思います。タンポポイベントでは「音楽をやる上で耳は大事だから、少しでも耳に良くないものがあるならその危険性は徹底的に排除する」という姿勢が、本当に根っからピアノが好きなんだなというのを感じられて、私は大好きです。

 

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このように、ピアノに固執し自己中心的な世界でしか生きてこれなかった彼は、どのようにしてそこから抜け出していったのでしょう。

 


2.本物の言葉、本物の態度

 

『……そんなときおまえに会ったんだ。おまえの言葉は不思議と入ってくるんだ。俺の中に。(中略)それまで誰に何を言われても煩わしいだけだったのに……チヤホヤされてもまたかと思うだけだったのに、おまえが言うとすんなり入ってくる。』

 

設楽先輩が閉じこもっていた小さな世界から飛び出せたきっかけは、告白の言葉にあるように、「主人公の存在と言葉」でしょう。
これだけでは少しわかりにくいですね。嘘も忖度もないまっすぐな言葉、設楽先輩が心のどこかで憧れていた自由な生き方、いつもこれらを投げかけ、見せていたのが主人公なのです。

 

設楽先輩はこれまで、(ごく限られた国際ピアノコンクールという)ピアノの世界ではいくらかの権威性を持っていたと思いますし、また両親の権威性にも守られてきて生きてきました。彼の持っている力と権威性に目を付けて、声をかけてくるものも沢山いたと思います。その中には、いかに彼のご機嫌を取って自分たちを有利な立場にするか、得をするか…そのような薄汚い思惑もきっとあったでしょう。
そんな、薄汚い思惑も見えてしまっていた彼は上辺だけの付き合いをしなければならないこの世界に、孤独感を持っていたのではないかと思います。彼が人との付き合いを避けようとするのは、このような苦く切ない経験をしてきたからだと思います。それでも、権威性を持っているうちは多少孤独感がまぎれます。それを知っていたからこそ、コンクールで勝つことが、彼が生きていくうえでとても重要なものになったのだと思います。
しかしそれも、中学二年生の時にピアノで負けてしまったことで、権威性を失ってしまった、周囲の人にとっての自分の価値を失ってしまった、と感じてしまいます。どこか寂しさを覚えながらもそれでも縋るしかなかった嘘と忖度にまみれた偽りの人間関係さえも失われるのではないかという危機感が生まれてしまったのです。これが彼の孤独感を一層強めることになりました。

彼は、本物の言葉を求めていました。そのことがよく分かるイベントが『子どもコンサート』だと思います。はばたき学園高等部に来ていた園児にリクエストされるがままにその曲を演奏する設楽先輩。少しでも間違えるとブーイングをする園児。少々腹を立てながらも、まっすぐな言葉をかけてくれる子どもたちに心地よさも感じる…という感じのイベントです。
おまけのアルバムボイスでは
「あいつら容赦なかったなぁ。俺も容赦なく対応したけどな」
と言います。このセリフ、すごく設楽先輩らしくていいですよね。大人げないと思う方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。設楽先輩はただただ対等な関係を持ちたかっただけなのです。嘘のないやりとりを求めていただけ……。

 

設楽先輩が紺野先輩と仲良くできているのも、紺野先輩が容赦なく本物の言葉をぶつけてきてくれる存在だったからでしょう。人望もありつつ、時々毒っ気の混じった本音を漏らす紺野先輩だからこそ、設楽先輩は安心して関われたのだと思います。

主人公もそうです。年下だからと言って、変にへりくだるようなことはしません。自分の思いはまっすぐ伝えるし、何よりあらゆることになんの偏見も持っていない。ピアニスト設楽聖司、ではなく何の装飾もない設楽聖司として接していたからこそ、設楽先輩からこれほどまでに信頼されたのだと思います。

海水浴のときめき会話では海で水をかけあうカップルを「恥ずかしい」と思っていた設楽先輩。それでも主人公は設楽先輩に水をかけて笑います。それを見た瞬間に、自分が勝手に作り上げてしまった世界・価値観の狭さに気付かされるのです。最初は抵抗感を示しながらも「やったな」と言ってやり返す設楽先輩を見たとき、なんて可愛いんだと思いましたし、これが世界を広げる瞬間なんだなと思いました。本物の言葉と愛の力は偉大だなと感じました。



3.手放すということ

 

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さて、ここで本題に入っていきます。
設楽先輩は、主人公と出会い、またもう一度ピアノと向き合う決心をして自分の世界を広げることができました。設楽先輩は「手放す」ことで、新たな一歩を踏み出すことができたのです。

手放すというのは、簡単なようでとても難しいことです。私の好きな本の一つスタンフォード大学 マインドフルネス教室』の著者、ティーブン・マーフィ・重松さん「人生で一番難しいこと」として「手放すこと」を挙げています。

手放すとはどういうことか、この本にはこのように書かれています。

 

手放すとはーそれが、考えであれ、物であれ、出来事であれ、特定の時間であれ、意見であれ、願望であれー何かにしがみつくのをやめることである。それは、今この瞬間が展開するなかで、その流れに完全に入っていこうという意識的な決意だ。手放すとは無理強い、抵抗、格闘をやめて、魅惑されたり拒絶したり、欲求や好みに囚われることなく物事をそのままにしておくことで、もっと力強く健全な何かを獲得することだ。

 

引用元:『スタンフォード大学 マインドフルネス教室』p.237

 

ここで、設楽先輩の告白台詞を見てみます。

『……それに、おまえといると時々ピアノを忘れるんだ。これがどういうことか分かるか? 物心ついた頃から俺にはピアノしかなかったんだ。それなのに…………本当はそうじゃないって教えられたような気がした。ピアノだけが俺の全てじゃないって』

 

個人的に、ここのセリフ一番好きです。彼のこれまでの生き方を知っていくうちに、この言葉にどんどん重みが増していきます。
あれほど、ピアノにしがみついていた設楽先輩が「おまえといると時々ピアノを忘れるんだ」と言うのです。今まで自分にはピアノしかなかったのに、ピアノと同じくらい、もしくはそれ以上に大切な存在が彼にはできたのです。その大切な存在というのが、主人公です。本物の言葉をいつも与えてくれる主人公に、設楽先輩ははじめて心の底から安心できる存在を見つけたのです。もし仮に、ピアノを失うことになったとしても、主人公という居場所があり続ける限り、彼は生きる力を持ち続けることができる、ということです。

設楽先輩は、主人公を好きになることで、初めてピアノを手放すことができました。ピアノへの執着とプライドをようやく手放すことができたのです。これは、ピアノがどうでもよくなったという事ではありません。コンクールで一番になれなくてもいいと思っているわけでもありません。それは、『決心』『ピアノコンクール』のイベントからもひしひしと伝わってきます。彼は、ピアノをいい意味で手放すことができたおかげで、本当の意味でピアノと向き合うことができたのです。主人公という安全基地があるおかげで、設楽先輩はピアノと向き合う覚悟ができました。自分の世界に閉じこもって本来不必要なはずのピアノへの抵抗や格闘をやめて、自分の世界から一歩踏み出し、今ここにある世界を受け入れ、楽しむ覚悟。この成長を見て、感動しないなんてことはありますか?いや、ない。
エンドロール後、設楽先輩はこう言います。

『おまえに出会ってから、世界が違って見えるんだ」
これが、彼が自分の世界から飛び出した証拠ですね。本当に泣けてきます。

彼は、何か一つにすがって生きることに苦しんでいました。学園演劇(『かもめ』)のイベントからもそれが窺えます。才能への過信、大切なものを捨ててまで全てピアノに捧げることのしんどさ、才能を生かすことと自分の大切なものや場所を守ることは両立できないのか……あの演劇には彼のこのような苦悩が見えてきます。

 

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ピアノだけで生きていく必要はありません。むしろ、安全基地を持っておいた方がより安心してピアノとしっかり向き合うことができるのです。主人公との3年間を通して、このことを強く実感したことと思います。

きっと本物の「強さ」を手に入れた彼は、これからどんどん素敵なピアニストになっていくでしょうね。

 

 

4.おわりに

以上で設楽先輩の考察を終わります。
いかがだったでしょうか。少々網羅的な書き方になってしまったので、一つ一つのイベントに対する考察は浅くなってしまったかな、とは思いますが、書きたいことは書けたかなという印象です。
設楽先輩の魅力が少しでも伝わったなら幸いです。

 

最後に一つ。ADVの『教師』、設楽先輩と氷室先生のやり取りが超絶かっこいいのでぜひ読んでみて下さい。設楽先輩の『決心』イベントを見ると解放されます。

2021年もこんな感じで色んなキャラの考察をしていこうと思っているので、応援していただけると嬉しいです。それでは、また!

学園演劇『義経』から読み解く日比谷渉の魅力【考察】

こんにちは。皆さん、お久しぶりです。

11月にツイキャスの方で第2回GS考察発表会がありました。テーマが『学園演劇』ということで、私は日比谷君の演目義経について語ってきました。
というわけで、今回は考察発表会で話した内容を記事にしていきます。

今回の考察のために、司馬遼太郎さんの『義経』(上下巻)を読みました!(計約1000ページの大ボリューム👼)
私自身、歴史にはあまり興味のない人間で、日本史は小中学校レベルの知識しかなく、また歴史小説というのも読んだことがないので、理解するのに結構苦労しました笑

ちゃんと理解できてるかどうかはともかく、小説を読みながら考察に使えそうな部分にどんどん付箋を貼りながら読み進め、そのなかでなぜ日比谷君の学園演劇に『義経』という作品が選ばれたのか、という部分がなんとなく分かってきました。

義経』という題材がなぜ選ばれたのか、そして何を表現したかったのか…それを司馬遼太郎の『義経』から文章を引用しながら紹介させていただきます。

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目次

 

 

 

1.日比谷渉と義経の類似点

 

今回、小説を読んで一番に思ったのは、義経という人物が日比谷渉のキャラクター像と類似する点がたくさんあったという事です。
考察発表会で他の参加者の発表聞くと、あえて対照的なキャラクターを当てていることが多いように感じましたが、日比谷君の場合は重なる部分が多かったです。キャラクターによってどう魅せるかを変えてくるあたり、GS制作陣はすごいなと思いました。

閑話休題

では、類似点を一つずつ見ていきましょう。


➀努力家

 

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四条の聖鎌田正近の出現から十六の年までこの若者は毎夜、僧正ヶ谷で木刀をふるって剣と体技を自修した。  

 

 九郎は人変りがした、といっていい。唐綾にいわれた忠告をまもり、いっさい婦人を近づけず、馬術に専念した。

 

常に剣や馬術の鍛錬に励んでいた義経(九郎)。これと決めたらその目標に向かって毎日継続する力がある人物だったようです。
この箇所を読んだ時、クラブ終了後もグラウンドに残って巨大なローラーを引いて、グラウンドの整備をしつつ体を鍛える日比谷君の姿を思い浮かべました。
このイベントでは、

「ドラフト逆指名されて、女子アナと結婚するッス」

などという少々不純な動機を語ることによって、人によっては彼の評判を落とすことにもなるのですが……笑
動機が何であれ、人一倍努力しているのは紛れもない事実で、しかも一切さぼることなくやり抜くのが彼のすごいところなんですよね。それだけ彼の目標は明確で「プロ野球選手」や「カッコイイ男になる」いう夢に対するモチベーションが非常に高いんですよ。三日坊主という言葉があるように、その日の気分で頑張ったり、頑張らなかったり……という人は多いと思うので、量も人一倍にこなしながら毎日継続するというその”意志の強さ”に感動するわけです。

「女子アナと結婚」発言は確かに衝撃的かもしれませんが、そこだけでなく、彼の努力が偽物ではないというところ、そのまっすぐな姿勢をもっと評価してほしいなと、私は思っています。


②小柄

 

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しかし九郎はその習熟した刀術ほどには弓に素質がなさそうであった。第一、小柄なために大弓がひけず、膂力が人並以下なために何十間も射とおすような強弓がひけなかった。

 

若者は、石段をおりてくる。その小柄で清げな姿が、いっそうかれの姿を劇的にし、ひとびとを感動させた。 

 

 義経は数々の戦果を挙げてきた人物として有名ですが、結構小柄なんですよね。
一度弓を習ったものの、体格に恵まれず、結局剣と馬術を極めることで何とかした感じです。

対して日比谷くんも小柄なんですよね。プロ野球選手を目指しているとは思えないくらいの……。高2の時点で165cm。水着の立ち絵を見る限り、筋肉はしっかりついていそうなのですが、体格には恵まれず。とはいえまだ高校生なのでもう少し身長が伸びる可能性もあります。彼はピッチャーをしているので、やはりもう少し大きい方が有利なのかなとは思いますが、それでも高2の時に甲士園のマウンドを任されるくらいの選手ではあるので、そこがすごいなと思います。それも、彼の人一倍の努力がもたらした結果なんでしょう。
小柄だからと言って諦めるわけでもネガティブになるわけでもなく、前向きに自分のできることをやっていくその姿勢が本当に素敵ですよね。

あと、義経「清げ」と表現されています。
「清げ」は「すっきりとしていて美しい」という意味です。これも日比谷くんっぽいですよね。日比谷君はすっきりとしていて美しい、清げな男の子です(異論は認めません笑)。



③心の機微を察するのが苦手…だけど優しい。

 

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(負けよ)

とは義経はねがっていない。これほどにその名誉心を傷つけられていながら、面当てとか競者の不幸をのぞむといったふうの、常人にとって当然な心情が義経にはふしぎなほど欠けていた。この欠落が他のものにはない格調をあたえているのであろう。同時にこの心情の欠落が、人の心の機微を察せられぬという、この若者の致命的な欠陥にも通じていた。 

 

義経は、おそらく成育歴が関係していると思うのですが、人の心の機微を察することが苦手な人物で、それゆえに一部からは”常識のない人間だと思われ、嫌われていました。しかしながら、根は優しく情の深い人間で、表現もストレートなため、色んな人に愛される存在でもありました。
この部分が見事に日比谷君のキャラクターと重なるな、と感心しながら読んでいました。日比谷くんもまっすぐすぎるがゆえに時々失礼で空気の読めない発言をしてしまうのですが、本人には全く悪気はないし、相手を純粋に尊敬する気持ちや、大切にしたいという気持ちはちゃんと持っています。彼は空気を読んで器用に立ち回ることができないのですが、その不器用さとまっすぐさがとても愛らしく映りますし、嘘がつけないからこその信頼感もあるのかなと個人的には思っています。

ちょっと空気の読めない発言をしてしまうこともありますが、そこは優しく指摘してあげれば改善してくれます。これからどんどん成長していく伸びしろのある人物です!彼のまっすぐで優しいところ、そしてこれからの伸びしろに期待してほしいなと、日比谷君推しとしては思います!

 


④絶対的な尊敬の念とブレない想い

 

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義経はこの不遇のなかでもなお兄頼朝の自分への愛情を信じぬいており、この誤解は下僚どもの讒言によるものであろうと思い、いつか頼朝がわかってくれるとおもっていた。広元のみたとおり、この若者はすべての人間感覚を情緒的にしかとらえられない。

 

義経は誰よりも「血縁」を大切にしていたというか、若くして母親や兄弟と離れて暮らすという人生を送ってきたので、血の繋がりにどこか縋りついているような、そんな印象を受けました。兄頼朝のことも、本当に尊敬していました。義経の「心の機微が分からない」「常識に乏しく無礼な態度をとってしまうことがある」というところや、あまりに戦果を挙げすぎたことによって、頼朝からは嫌われていたのが悲しいところですが……。
日比谷くんにも、”義経にとっての頼朝”にあたる人物がいます。
それが、葉月珪くんです。彼は、日比谷君にとっての「カッコイイ男」の象徴のような存在で、(ストーカーしてしまうほどに)本当に尊敬していました。
葉月君にとっては少々迷惑な存在だったかもしれませんが、こんな風に誰かのことを心から尊敬し、その人みたいになれるように努力し続けられるというのは、なかなか素敵な事なのではないかなと思います。
「想いにブレがない」というところが、彼の一途さを表現していていいですよね。


⑤無邪気で甘え上手

 

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この若者の性格を泰経はよく知っているが、どういうものか大人と思えぬほどに甘ったれなのである。法皇に対してもそうであった。法皇が愛撫してやると仔犬のようによろこび、じゃれつきたいような様子をみせる。

 

義経は素直でまっすぐな性格であり、少々愛情に飢えていた人物でもあります。そのせいか、成人になっても仔犬のような甘え方をしていたようです。
日比谷くんがGSシリーズの年下キャラの中でも、一番”年下感”を出しているキャラかなぁ、と思っていて、仔犬のような愛らしさがあるんですよね。このカラオケでのスチルでも、口の端についたソースを主人公に拭ってもらうという……そんな子どもっぽくてかわいい姿を見せてくれます。
彼自身は「頼られたい」タイプの人間なので、こんなふうに甘やかされるのは本意ではないかもしれませんが、そこのギャップがこちらとしては萌えるんですよね☺
彼は年上女性を虜にする魅力を持っていると思います。


⑥練習に裏付けられた自信

 

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「合戦というものは」

と、義経はかれの戦術思想をいった。戦いとはただひた押しに押し、ひた攻めに攻め、進みに進んでついに勝利を得るものである。退却などいささかも考えるべきではない、というと、梶原は「ちがう」と叫んだ。

 

義経は非常に奇抜というか、見方によっては逆にシンプルすぎるくらいの戦術で輝かしい戦果を挙げてきました。義経よりも上の立場の人間から戦いの指示を受けても、自分の戦術を疑うことなく、自信を持ってそれらをはねのけ、そして結果を残してきました。このような自信あふれる発言と行動は、これまでの戦いの経験もそうですし、自身の鍛錬や仲間への絶大な信頼によってもたらされたものだと思います。
DS版で追加された、この甲士園のイベントでも、9回裏満塁という逆転のピンチでマウンドに上がったものの、「練習はジブンを裏切らない」と自分のこれまでの練習や仲間への信頼、そして主人公という大切な人に見守られていることを力に、渾身のストレートを放って抑えました。
がむしゃらで無謀な練習をしているようにも見えますが、こういう時に人一倍頑張ったことって自信になって表れてくるんですよね。このイベントでは彼の全ての努力が報われ、そして人の好さも見えてくるので本当に泣けてきます。
日比谷くんのカッコイイところがみたい人は、ぜひDS版でこのイベントを見てほしいです!!!

 

⑦大切な人に対する情愛の深さ

 

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(このひとの情愛のふかさよ)

と、諸士はただひとりの死のために戦いをやめ、戦場を離脱し、泣きに泣いて供養しているこの義経の異常さにうたれた。 

 

これまでの引用を読んでいただいたらなんとなくわかると思うのですが、義経は本当に根が優しく、情愛深い人で……仲間が戦場で亡くなったら、戦いの最中であっても一旦戦場から離れて泣きながら供養するような人物です。大人だから、とか、戦いの最中だから、とかそういう理由で現実逃避したり涙を我慢するような人ではないのです。武士としては精神的に未熟なのかもしれませんが、とても人間的で素敵だなと思います。
この義経の涙から、日比谷君の海のスチルが思い浮かびました。彼も、海でおぼれてしまった主人公を本気で心配し、主人公が目を覚ました時には泣いて喜びました。(人工呼吸の時に若干邪なことを考えてはいたものの)彼の涙には、優しさを感じましたね。こうやってちゃんと感情を表に出してくれる人っていいなと思います。


 

⑧誰に対しても真摯に向き合い、相手を思いやれる。人を信じすぎてしまう。

 

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荘園のあらそいのことや、鎌倉どのへの取りなしのことなど、持ちこんでくる依頼は雑多であったが、義経はいちいちたんねんにきいてやり、しかもその世間にうとい若者は頼みこんでくる者にいちいち好意をもち、依頼者に有利なはからいをし、たれもかれもよろこばせた。

 

義経は心の機微を察することができないことで人に嫌われることもありましたが、やはり根はとてもいい人なので、依頼には真摯に対応し、いちいち人を好きになって相手が喜ぶことをしていました。義経が絶大な人気を誇っていたのは、こういう人間性であったからこそなのではと思いました。
日比谷くんもとても誠実に色んなことに向き合っています。野球にしても、カッコイイ男像にしても、恋愛にしても……。それが如実に表れているのが、このラブレタースチルなのかなと思っています。
後輩から貰ったラブレターにどう返事をすればいいか、主人公(好きな人)に相談するという……このシチュエーションだけで考えるとかなりやばいような気もするのですが、彼なりに真剣に向き合いたいからこそだと思います。主人公に相談したのは、主人公のことを本当に信頼しているからなのではないでしょうか。信頼している人からアドバイスを乞いたいと思うのは普通の感情だと思います。

このイベントは日比谷君の誠実さがしっかり出ていますし、主人公が日比谷君にかける言葉も本当に素晴らしい(いい聞き役という意味で)のでぜひ見てほしいですね。


類似点としてはこれくらいにしておきます。
考察発表会の時には
⑨好色家(日比谷君はそんな軽い人間ではないけどなんやかんやモテてるという意味で)
⑩少々学が足りない義経は軍事能力には長けていたが政治に関しては全くだったという点で。日比谷くんも下校会話を聞く限り頭はそこまでよくなさそう)
の2点もあげていますが、大した内容ではないので省かせてもらいます笑

 


2.義経から見た「静」と主人公を重ね合わせてみる

 

義経と日比谷くんには様々な共通点があると言ってきましたが、実は今回の学園演劇でも登場する「静」というキャラクターも主人公と重なる部分があるのではないかと、小説を読んで思いました。
静御前義経の正妻ではありませんが、おそらく義経が生涯の中で一番愛した人物だと考えられています。

 

義経』の中で、静御前がGSの主人公像と重なるような箇所が2つあったので、それらを紹介します。


 ―こういう女ははじめてだ。

義経がおもうのはその舞によってではない。舞のあとである。舞が終われば静はいそぎ装束を更え、ふつうの衣装にかえてしまう。

「せめて一度でも、その舞装束のまま侍れ」

義経はしばしば要求するのだが、静はつねに冴えざえとした歯切れで、いいえ左様なことはできませぬ、とことわった。白拍子とはいえ、その舞は神にささげるものとして舞っている。母の禅師がわたくしにそのように教えた。さればあの舞衣装のままでは、お膝のそばに侍れませぬ、というのである。

 

さすがに一芸に誇りをもって世に立っているだけに、他のいかなる貴族の女性にもない凛としたところがあり、それに応答がきびきびして漂いも淀みも濁りもなく、打てばかならずさやかな音色で戻ってくる。(中略)

静は、ちがっている。

それに静は、どの公卿の姫たちよりも物学びにすぐれ、磯ノ禅師の薫陶によるらしく漢字も読め、唐詩和漢朗詠集などは数知れず暗誦しており、詩の平仄すら心得ていて、まねごとの作詩ぐらいはできるのである。

 

いかがでしょう。この文章を読んで、なんとなく主人公っぽい!と思ってくださった方もいるのではないかと思います。
静御前は「白拍子」として、貴族のいる場で舞をしていました。
白拍子の中でも特に漢字が読めたり、詩にも精通していたりと学もあり、一目置かれる存在だったようです。

 

特に主人公っぽいなと思ったのが

・力を持っている男性に要求されても、信念を持ち凛とした態度で断るところ。

ですね。

GS主人公はすごく人当たりがいいのにも関わらず、ちゃんと芯があって断るときにはきっぱりと断ることができる、そんな凛としたところがありますよね。
義経も男性に簡単に流されることなく、芯をちゃんと持っているところに惹かれたのだと思います。

日比谷くん攻略には全パラ要求されますが、それは様々なことをこなせる静と近しいものを感じますよね。その点でも対日比谷君の主人公として、静御前という役は主人公にぴったりだったように思います。


3.学年演劇『義経』で表現したかった事

 

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学園演劇では、何かしらその男の子自身の「課題」が突き付けられているんじゃないかなと思っています。
日比谷君の場合は「年の差」なのかなと思いました。
GSシリーズの最初の作品の年下キャラという事もあって、「年の差」だからこその苦悩というのをしっかり出していきたいのかなと思っています。

3年目の文化祭が終われば、あとは卒業まで秒読みになります。
一つ年下なので、どうしても「別れ」が訪れてしまいます。

でも、主人公のことが好きだから離れ離れになりたくない。
その気持ちが義経と静の関係で表現したのではないかと私は考えています。

このイベントのセリフは、義経静御前が離れ離れになるシーンとなっています。
主人公の卒業が現実味を帯びてきた11月。
まだ主人公と一緒に居たいという気持ちはあるものの、どうしてもかなえることができない。努力ではどうしようもないこの現実の辛さに日比谷君は、涙したのでしょう。
でも、必ずまた再会できることを約束します。そこには、日比谷君の”決意”が含まれているのではないかと考えています。

 

演劇での涙から、主人公のことが好きな気持ちと、他者(義経と静)の気持ちに心から寄り添う日比谷くんの優しい気持ちが現れているなぁ、とうるうるしてしまいました。日比谷君は本当にまっすぐで人の気持ちを思いやれる素敵な子なんです。

 

 

4.まとめ:学園演劇が『義経』である理由

 

ではでは、長くなりましたが、まとめに入ります。
日比谷君の学園演劇が義経である理由、分かりましたよね??
大きく分けて2つになるかなと思います。

義経の人物像が日比谷君のキャラクターと概ね合致していること。

②「年齢差→別れ」の演出をするため。

 

原作を読んで、ここまで納得できる理由が見つかると思いませんでした。
この題材は「日比谷君に武士の格好をしてもらいたいから」とかいう適当な理由で選ばれたわけではないんですね。
本当にここまで考えてちゃんとキャラクターに合った題材を選んでいるGS制作陣は本当にすごいなと感動しました!!頭が上がりません。

 

 

今回学園演劇の考察をやってみて、キャラクターやストーリーを深めるのにとてもいいなと思いました。皆さんも、ぜひ実際に原作にあたってみて、なぜこの作品が選ばれたのかを考えてみてほしいです。そして、その考察を聞かせてもらえたら最高に嬉しいです!!


ではこの辺で!
皆さんよいお年を!!
来年も考察記事を頑張って書こうと思っていますので楽しみにしていてください!!